【チューニングカー今昔物語】クルマ作りがそもそも違う! (1/2ページ)


1995年の自動車部品の規制緩和で
大きな変化を遂げたチューニング技術

今から約20年前。アメリカの政治的な圧力を日本が受け入れる形で、突如起こった「自動車部品の規制緩和」。それまで非合法とされてきたチューニングの世界が一般に開放され、誰もが合法でチューニングカーを楽しめる時代がやってきた。
現在は、600psが市販車として販売され、普通に扱える時代となった。
そこで、あらためてチューニングの過去をプレイバックし、原点を見つめたい。

チューニング業界の一大転機になったのは、日産BCNR33型スカイラインGT-Rがデビューした1995年。
「車両法の規制緩和」によって、それまでは改造=悪だったものが、自己責任のもと、最低限の決まりさえ守ってくれたらパーツを自由に取り付けても合法となったのだ。11

1995年の規制緩和とRB26DETT型エンジンのチューニングが熟成。この時代は一気にパワー指向に。

12規制緩和から20年後の2015年。ノーマルで600psの時代となり、サーキット走行を楽しむ一般ユーザーも驚くほど増えた。

「規制緩和」で日の目を浴びたチューニングカー

これを受け、アンダーグラウンドなものだったチューニングが一般化され、翌年の東京オートサロンには、それまで以上に派手なチューニングカーが並ぶようになった。

そして、ゼロヨン、ドリフト、グリップ、最高速と走らせるステージが多様化し、チューニングが一気に開花していった。フルチューンという言葉が当たり前のように誌面を賑わせていたのはこのころからだ。

もっとも、チューニングの世界を真に変えたのは規制緩和ではなく、平成元(1989)年に登場したスカイラインBNR32型スカイラインGT–R。
革新的なメカニズムを持つこのクルマに全国のチューナーは精力を注いだ。そして、ある程度データ解析が揃ったのがちょうど20年前ごろだった。
つまり、規制緩和とBNR32スカイラインGT–Rのチューニングが確立されたのがほぼ同時期。それによってGT–Rのチューニングが加熱、白熱した。

07.チューニングの世界の流れを一気に変えたのは、BNR32型スカイラインGT-Rの存在。フルチューン、最高速、ゼロヨン、といった特化させたチューニングだけでなく、サーキットをメインにしたトータルチューニングに徐々に舞台が移っていった。

チューニングが改造から調律へ変化

ところが規制緩和直後のパーツはどれも扱いづらかった。今思うと足まわりは異常に硬く、クラッチの繋がりは唐突。エンジンもある回転からパワーが急激に盛り上がる。でも、不思議と違和感がなかった。「チューニングカーって乗りづずらいものだよね」と認識されていた。 03

当時のチューニングパーツは、モータースポーツで使っていたパーツに少し手を加えて、市販品として販売していた。レースパーツは扱いやすさより性能重視。それをストリートで使うと乗りづらいのは当たり前。でも、当時はそれしかなかった。01あたりその状況を変えたのも規制緩和のおかげ。自動車メーカーがアフターパーツ業界に多数参入したことで、ストリート寄りのパーツ開発が進み、レースカーからのお下がりではなく、ストリートに合わせた専用パーツへと変化してきた。
これによってアフターパーツの世界は活性化、そして多様化することになった。

04ニスモ400Rなどのコンプリートカーが発売されたことで、レース直系からストリートチューンへと方向性が変わっていった。09

21世紀に入ってからは、カスタマイズの世界は安定期に入ったが、逆に技術革新はどんどん進み、精度の高い機材が導入されたことで、セッティングの幅が広がったり、環境性能まで考えたチューニングパーツが生まれることになる。日常性能を犠牲にせず、スマートで速い。これがスタンダードになってきたのだ。
つまり、この20年で、「改造」と呼ばれていたチューニングは、「調律」に変わったわけだ。