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日産を裏切った本当の極悪人か?カルロス・ゴーンの功と罪

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TEXT:  PHOTO: Auto Messe Web編集部

失われかけていた日産の歴史を
継続させたゴーンのカリスマ性

11月19日、日産自動車の代表取締役会長であるカルロス・ゴーンが有価証券報告書に報酬を過少申告していた疑いで、東京地検特捜部は金融商品取引法違反で逮捕された。
その日の22時より神奈川県横浜市にある日産グローバル本社では、西川廣人(さいかわひろと)社長兼最高経営責任者が緊急記者会見を行い、内部告発から数ヶ月にわたる調査結果を検索当局に情報提供していたという。

ゴーンが実際の報酬額よりも減額した金額を有価証券報告書に記載したというのは、2011年から2015年までの5年間。その額は約50億円とのことだ。
しかし、これは本人だけでは実行することは不可能。日産自動車社内に処理をした関係者は間違いなくいたはずだ。しかし、共同通信によると検察当局との司法取引があったということで、その結果、ゴーンが会社の資金を私的に支出していたなどの不正行為になども含め、それらに深く関与したというグレッグ・ケリー取締役の両名以外の逮捕者は出ていない。

ゴーンが前述の5年間に申告していた報酬額は約50億円。つまり半分を過小申告していたわけだ。会社の資金で購入した海外物件を私的利用していたなど、あれほどの報酬をもらっていたのに「なぜ?」という疑念は拭いきれないが、横領の疑いもあるようだ。

現段階では、各メディアが報じているように、どのような社内情報が検察当局に行ったなど公開されていない点が多々あるが、少なくとも「日産自動車」としての責任より、ゴーンおよびケリーの両者が犯した罪というスタンスに感じされた。
さらに、昨晩の記者会見で西川社長が「実力者として君臨してきたことの弊害」とか「負の遺産」と長年の権力集中に対する苦言を呈していたのが印象的だった。

ゴーンが不正行為を行っていたのは事実のようだ。しかし、コストカッターの異名をもつほどの経営の効率化を行い、瀕死の日産を1999年の就任からわずか2年目でV字回復させた功績はある。

燃費不正問題で三菱自動車を日産の傘下にすることで助けたのもゴーンだ。

カルロスゴーン

また身近なところでいえば、スカイラインを継続させ、途切れていたフェアレディZの歴史が再び動き出し、さらにGT-R(R35型)という世界に通用するスポーツカーを世に送り出した。

振り返れば、Z32型フェアレディZの生産が終了したのは1998年。ゴーン就任の前年だ。
一般的に新型モデルが登場すると同時に次期モデルの開発がスタートする。しかし、経営が苦しかった当時の日産にとって、フェアレディZの次期モデルの開発はもちろん、構想さえストップされていた。

一方、スカイラインは1998年にR34型へとバトンを渡しているが、2001年に登場したV35型スカイラインは1999年に出展されたコンセプトカー「XVL」の市販仕様で、一説にはローレルのコンセプトカーと噂されたクルマだった。それゆえファンからは「スカイラインらしくない」など酷評されていた。

スカイラインこのクルマを「スカイライン」として世に放つ指示を出したのはゴーンだった。おそらく、当時の日産には、ゴーンの提案に反論することができる人はいなかったはずだ。

じつは、このV35型スカイラインの開発責任者だったのが、R35型GT-Rのチーフ・ビークル・エンジニア(CVE)だった水野和敏。

また、2001年の東京モーターショーでは、GT-Rコンセプトが登場。当時は「あくまでもコンセプトモデル」と日産は主張していたが、開発は正式スタートをしたはずで2007年のR35型GT-Rを登場させた。

また、フェアレディZの開発もゴーンの指示で再開され、Z33型が2002年に登場する。
このクルマの開発責任者も水野だった。

 

チューニング界を再復興したR35型GT-R

1989年に登場したR32型からR34型までのスカイラインGT-Rは、間違いなくチューニング業界を潤したクルマだ。
しかし搭載していたRB26DETT型エンジンが排ガスクリアをできないことが理由に2002年に生産を終了。同年にはトヨタ・スープラ、日産・シルビアといったターボモデルも続々と生産を終了している。
チューニング業界としては、ベース車両となるスポーツモデルが無くなり、お先真っ暗となるところだった。

フェアレディZ

そんな状況のときに、ゴーンのひと言で開発がスタートし、登場したフェアレディZは、まさにチューニング界の救世主だったことだろう。ただ、NAエンジンということもあり、R32〜34型スカイラインGT-Rほどのパワーを出せなかったこともあって、端から見ていると盛り上がりには欠けていたような印象がある。

そんな暗たんたる時代を過ごしていたチューニング業界を活性させたのは、2007年に登場したR35型GT-R。
これも前述したように彼の判断で、予算度外視の開発が行われ、市販化できた一台だ。

このように、ゴーンは日産のスポーツモデルの開発を水野ひとりに託していたといっても過言ではないだろう。本来ならば異なる車種で開発期間が被っているなら、それぞれに担当者を任命してもよいはずだ。
そういう点は、昨日からの報道どおり「ゴーンは気に入った人だけを使う」という人事をしていたといえるだろう。

5年振りのGT-R復活に世の中は歓喜したのもつかの間、なんとちょっとでもチューニングしたら「ディーラー出禁」というお達しを日産が発表。たとえホイール交換しただけでも、オイル交換さえもディーラーで受け付けてくれなかったという。

一説には500馬力弱(当時)のGT-Rを国土交通省が認可する上で、さまざまな要件を与えたためとも言われていた。

それまでのGT-Rの歴史を振り返れば、チューニングするユーザーが多く、日産としても大切なお客さまとして扱っていたが、その姿勢を覆したようにしたことには我われも驚かされた。
結果的には、後にR35GT-Rのチューニングへの規制緩和がされ、日産系イベントへチューニングショップが参加できるようにもなっている。

もちろん、R35型GT-Rのチューニングは、発表当時からパーツメーカーが積極的に取り組み、R32〜34スカイラインGT-Rとは異なり、輸出もされていたこともあって世界中でチューニングが盛り上がっていった。
さらに日本のエンジン系パーツ以外にエアロパーツなどが輸出され、国内のチューニングショップはR32〜34スカイラインGT-Rより幅広い販路を獲得することになった。
ある意味では、これもゴーンの功績といえるだろう。

確かに法を犯したのは事実だろう。だが、良くも悪くもカリスマ性があったから、他の人では実現できないことを達成してきたのもカルロス・ゴーンである。

すでに解任は決定しているようだが、今後の日産と三菱がどのような歩みをするだろうか。

(文中:敬称略)

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