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もはや伝説の名車? たった1代限りで絶滅した国産スポーツカー5選

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TEXT: 山本晋也  PHOTO: automesseweb編集部

中古市場では価格の上がっているモデルも

 スポーツカーに限らず、名車というのはモデルチェンジを繰り返すことで、その魅力を熟成させ、価値を高めていくものだ。その代表格といえるのが、リアに水平対向6気筒エンジンを積むという特殊なレイアウトを守り続けているポルシェ911だろう。

 一方で、メーカーの威信をかけて開発したスポーツカーでありながら、1代こっきりで終わってしまうこともある。後継モデルを考えられるレベルまでビジネスとして成功できなかったから終焉したともいえるが、そもそもスポーツカーというのは数が売れる種類のカテゴリーではない。

 何世代もフルモデルチェンジを繰り返せるほうが少数派ともいえる。後継モデルが生まれなかったからといって、その出来が悪かったとはいえない。むしろ1代限りで終わったからこそ、そのコンセプトはぶれずに伝説の名前になっている。ここでは、そうした伝説の国産スポーツカーから5車種をセレクト、それぞれの魅力や価値を再確認してみたい。

 

三菱GTO

 1990年秋にデビューした三菱自動車の全天候型ヘビー級スポーツカー「GTO」。かつて、1970年代にギャランのスポーツグレードに使われたGTOというサブネームを復活させたモデルであり、1980年代にはモータースポーツシーンで活躍した三菱スタリオンの後継といえるポジションのモデルだ。

 スタリオンはエンジン縦置きのFR(フロントエンジン後輪駆動)プラットフォームだったが、GTOはV6エンジンを横置きにしたFF(前輪駆動)プラットフォームをベースとした4WDスポーツ。つまり、プラットフォーム的にはバブル期に大ヒットとなったミドルサイズセダン、ディアマンテの流れにある。

 そのため当時のスポーツカーとしては”重量級”というネガティブな評価をされることもあった。ただし、当初より対向タイプのブレーキキャリパーを採用したほか、マイナーチェンジによりAP製6ポットブレーキキャリパー(フロント)をオプション設定するなど、ブレーキ性能の確保にもこだわった一台だった。

 エンジンはNA(自然吸気)とツインターボの2種類。途中からゲトラグ製6速MTを採用するなど、現代のスポーツカーにつながるブランドパーツに積極的な面もあったことは忘れられない。

 

日産180SX

 日産のスポーツクーペ、シルビア(S13型)の兄弟車として1989年に生まれたのが「180SX(ワンエイティ・エスエックス)」である。車名の由来は、当初1.8リッターエンジンを積んでいたこと。シルビアはNAエンジン車も用意していたが、180SXはターボだけのラインナップとなっていた。

 外観ではシルビアが2ドアクーペなのに対して、リトラクタブルヘッドライトの3ドアクーペとまったく違う雰囲気。当初はシルビアの陰に隠れていたが、ドリフトブームをきっかけに人気を集めるようになったことも記憶に残る。

 180SXのボディにシルビアのフロントマスクを移植した通称「シルエイティ」や、逆にシルビアのボディに180SXの顔をスワップした「ワンビア」なども作られるようになった。1991年のマイナーチェンジでエンジンが2リッターターボへと進化するが、車名は180SXのままで変わらず。その後、シルビアがフルモデルチェンジしていく一方で、180SXはそのまま生産が続けられ、1998年にモデルライフを終了した。

 

トヨタMR-S

 2代続いたMR2の後継車として1999年に誕生したミッドシップ・オープン2シーターがMR-S。オープンを前提としていたことは、車名の「S」がスパイダーに由来することから明らかだ。

 それまでのMR2は初代が4A-G、2代目が3S-GTというスポーツエンジンを搭載していたが、MR-Sはカジュアルな方向となり、あえて1ZZ-FEというおとなしめのエンジンを積んだのが特徴。ホイールベースを長くすることで、ミッドシップのリスキーなハンドリングをマイルドにしたのもユニークなアプローチだった。

 そのためリアオーバーハングにトランクはなく、シート後方に大きめのラゲッジボックスを置くという珍しいパッケージング。全体としては、世界的なヒットとなっていたマツダ・ロードスターのフォロワーといえるキャラクターだったが、ミッドシップという点で差別化したというのが、デビュー当時の認識といえるだろう。

 いわゆるFF(前輪駆動)車のパワートレインを利用した横置きエンジンのミッドシップゆえに、すべてが専用設計のスポーツカーに比べれば開発コストは抑制できたはず。しかし、ビジネス的に成功したとはいえず、1代限りでモデルライフを終えてしまった。仮に後継モデルが出ていれば、トヨタのスポーツカー戦略も大きく変わっていたことだろう。

 

ホンダ・ビート

 1991年に誕生した軽自動車のオープン2シーター「ビート」。軽トラック「アクティ」のパワートレイン基本設計を利用しているが、ボディは専用設計。ミッドシップ・オープンとしては世界初のモノコック構造というのも注目だ。エンジンは3気筒で、ヘッドはSOHC12バルブ。吸気システムはMTRECと呼ばれる3連スロットル、NAエンジンながら軽自動車の自主規制である64馬力を実現したことはオーナーの誇りだろう。

 また、ビートに続くようにデビューした軽スポーツカーのスズキ・カプチーノやオートザム(マツダ)AZ-1(OEM車スズキ・キャラもあった)を含めて、「ABCトリオ」と呼ばれた。販売期間は1996年までと短かったが、生産された3万6000台余りのうち6割以上が残存していると言われており、ホンダ自身が補修部品の再生産に乗り出すなど、大切にされているクルマである。

 同じ軽自動車のオープン2シーターということで「S660」を後継とみなす向きもあるが、キャラクターとしては異なっているというのが、それぞれのオーナーの印象だろう。なお、ビートという車名は発売のギリギリになって決まったため、樹脂製のエンブレムを作る時間的余裕がなく、ステッカータイプのエンブレムになったという逸話も残る。

 

マツダRX-8

 現時点で、マツダのロータリーエンジンを積んだ最後の量産車である「RX-8」は、4ドアセダンではあるが、ロータリースポーツカーとして認知されている。4ドアとはいっても観音開きのため、遠目には2ドアクーペに見えたのもスポーツカーという評価につながったのだろう。

 それまでのRX-7がロータリーターボだったのに対して、RX-8は「レネシス」と呼ばれるNAロータリーを搭載して2003年に誕生。駆動方式はFRで、コンパクトなロータリーエンジンをフロントミッドシップ(前軸より内側)に配置していたことからハンドリングは紛れもなくスポーツカーのそれだった。

 また、トランスミッションとリアデファレンシャルをアルミフレームでつないだ構造は、ロードスターにも通じるものでスポーツカーらしい走りに貢献している。

 上級グレードには高回転仕様のロータリーエンジンと6速MTを組み合わせていたが、ワイドレンジのマツダ内製5速MTを評価するファンも少なくない。

 排ガスや燃費といった環境性能に合致させることが難しくなり、2012年には生産終了となってしまったが、マツダはロータリーエンジンを諦めていない。RX-8の名前が復活するかどうかは不明だが、ロータリースポーツの未来には期待したい。

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