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もはや絶滅危惧車! いつの間にか街で見かけなくなった平成のクルマ5選

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TEXT: 小鮒康一(KOBUNA Koichi)  PHOTO: Auto Messe Web編集部

使い勝手が良く国民車として人気だった

 平成に終わりを迎え、令和元年となった2019年。クルマの年式が「平成」と聞くとまだまだ新しい感覚だが、今年で31年目であり、平成初期の車両は紛れもなく古くなってしまっている。そこで今回は、平成初期には石を投げれば当たるほど走っていたのに、気づけば見なくなってしまった車両を紹介しよう。

トヨタ スターレット(4代目)

 当時のトヨタのボトムラインを担う車種のひとつとして多くのユーザーに支持されたスターレット。ファミリーカーや営業車としてはもちろんだが、1.3リッターながら135馬力を発生するターボエンジンを搭載したホットモデル”GT”も用意され、手ごろな価格で買えるホットハッチとして人気を集めた。

 4代目は平成になったばかりの1989年末に発表され、一時期は見ない日はないほど街中に溢れていたモデルだったが、99年にヴィッツにバトンタッチした後は徐々に減少。気づけばほとんど見かけなくなってしまった。

日産 プリメーラ(初代)

「901運動」と呼ばれる、日産自動車が“1990年代までに技術の世界一を目指す”クルマ作りを目標とした運動の一環として誕生した車種のひとつ、プリメーラ。1990年に登場し、欧州車のような合理的なパッケージングと乗り味で多くのクルマ好きを虜にした。

 日本国外では高級車ブランドであるインフィニティからG20としても販売。イギリス生産の5ドアハッチバックモデルを逆輸入するなど、話題に事欠かない名車であったが、モデルチェンジを重ねるごとにセダンタイプの人気の陰りも相まって販売台数は減少。2008年で消滅してしまった。

ホンダ HR-V

 乗用車のボディを流用したクロスオーバーSUV。今でこそ大人気のジャンルとなっているが、1998年に ホンダ・ロゴをベースに生まれたHR-Vはその流行を先取りしたモデルと言えるだろう。当初は3ドアのみだったが、99年には使い勝手に勝る5ドアボディも追加された。

 爆発的な人気車種ではなかったが、120万円台~という安価な価格設定もあり、降雪地域などの移動のアシとして重宝される姿が当時はよく見られた。実は日本国外で人気の高い車種であり、日本から中古車として海を渡った数も相当数あったという。そのため、現在では滅多に見かけなくなっている。

マツダ デミオ(初代)

 コンパクトカーながら、ステーションワゴン的な使い方もできる余裕のある室内空間が人気となり、当時経営不振に陥っていたマツダを救う立役者となったのが初代デミオだった。当時のNBAのスタープレイヤーであったスコッティ・ピッペン氏を起用したCMを覚えている人も多いのではないだろうか。

 デミオはコンパクトカーとしての使い勝手だけではなく、実は走りの面でもかなりレベルの高いモデルとなっており、当時の入門用レースとしてデミオのワンメイクレースも行われていたほど。本格的なロールケージを装着したデミオや、営業車として無塗装バンパーを装着したデミオはどこに行ってしまったのだろううか。

ダイハツ オプティ(初代)

 ミラをベースにスペシャリティーカーとしてフロントシートを重視したリーザの後継車種として1992年に登場。オプティは、スペシャリティーカーらしく当初は3ドアのみのラインナップだったが、リーザとは異なり、後部座席にも配慮した。

 そんなオプティを人気車種に押し上げたのが、96年に追加されたレトロ風モデル「クラシック」だ。元々丸目ヘッドライトを採用していたオプティだけに違和感も少なく、プロテインレザー製のシートなどで高級感も持ち合わせていた。このノウハウはのちのミラジーノに生かされるのだが、オプティ自体は2代目でいきなり4ドアハードトップとなり、そのまま消滅してしまった。

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