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懐かしのカローラからレパードまで、昭和の人々が愛した正統派セダンの遍歴

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TEXT: 山本晋也  PHOTO: 日産/トヨタ/Auto Messe Web編集部

昭和時代の自動車市場が求めたカタチ

「オーセンティックなセダン」と聞いて、どのようなクルマを思い浮かべるだろうか。オーセンティックとは、本物の、真正な、という意味。すなわち、正統派と捉えるならば、日本でいえばトヨタ・センチュリーを頂点とするショーファードリブンかもしれないし、一方で多数派が正統的と考えるのならトヨタ・カローラアクシオのようなCセグメントがオーセンティックなセダンかもしれない。

 しかし、昭和から平成にかけての1980~1990年代における国産セダンにおいて正統派と考えられていたのは、もうひとつ上のセグメントではなかっただろうか。 

 

最も売れていたのはカローラだった時代

 トヨタ・カローラは昭和から平成にかけての1969年~2001年の間、33年連続で日本一売れたクルマだ。カローラレビンのような2ドアクーペ、3ドアハッチバックもラインアップに加わっていたが、カローラといえばオーソドックスな4ドアセダンというイメージが強かった。

 そして、カローラが最量販モデルであるということは、クルマの基本形も4ドアセダンであったということ。いまでは考えづらいが、3ドアや5ドアのハッチバックであって、軽自動車やリッターカーに限られたボディ形状というイメージが強かった。

 マツダ・ファミリアやホンダ・シビックといったハッチバック車もヒットしていたが、王者カローラを超えるまでには至らなかったのだ。ハッチバックがメインストリーマーとして認められたのは、2002年にホンダ・フィットがカローラの連続一位を止めたときといえるだろう。その意味では20世紀はセダンの時代だったのである。

 

乗用ワゴンはライトバンの延長にあった

 いまでは信じられないことだが、ステーションワゴンにしても乗用車としては亜流の扱いだった。トヨタ・クラウンや日産セドリック/グロリアといった高級車にはステーションワゴンのバリエーションもあったが、その手のクルマは「ライトバン」といって商用車と一緒にされることが多かったのも昭和の自動車界の特徴だ。

 すなわち、テールゲートではなく、独立したトランクがあることが正統派のクルマと認識されていたといってもいいだろう。そのため、2ドアクーペはキャラクター的には主流派の一員といった位置付けだったように記憶している。クラウンに2ドアクーペが設定されていたこともあったくらいだ。そうした正統派クーペの頂点となったのが、トヨタ・ソアラ。いわゆるハイソカー・ブームの始まりである。

 この時期から、若者もオーセンティックなセダンに憧れを抱くようになっていく。バブルに向かって景気が良くなっていったのとも関係しているだろう。それまでクルマの主流はセダンだったといっても、若者はハッチバックのコンパクトカーに乗ることが多かったし、そうでなければスポーティなエンジンを積むクーペを好む傾向にあった。しかし、クルマに高級感を求めるハイソカー・ブームによって、若者の目も4ドアセダンに向いていったのである。

 

そして、1980年代のハイソカー・ブーム

 そんなハイソカーの中心的存在となったのは、トヨタ・マークII/クレスタ/チェイサーの3兄弟。5ナンバーサイズのボディに、やはり5ナンバー規格ギリギリの2リッター 6気筒エンジンを積んでいたことが若者の人気を集めた。当時は3ナンバーになると途端に自動車税が高くなる時代で、5ナンバーであることは維持費の面からもマストだったからだ。

 そして5ナンバーの中で、もっとも高級感があったトヨタ・マークII/クレスタ/チェイサー(GX71系)の3兄弟を中心にハイソカー・ブームは展開していく。日産のセドリック/グロリア、ローレル、そしてスカイラインもハイソカー・ブームに合わせてラグジュアリーな7代目へとフルモデルチェンジした。

 ソアラの対抗馬として日産が用意した初代レパードは、2ドアクーペと4ドアセダンと2つのボディを設定することで多くのユーザーを受け止めようとしたのである。

 6気筒であることを求めると、必然的にFR車(リア駆動車)。いまよりもFR神話が強かった時代ゆえ、ハイソカーはクルマの本質を追い求めたメカニズムを持っているというイメージもあった。そのためスポーティなクルマを求める層も、FRで6気筒エンジンを積むハイソカーへと傾倒していった部分もあろう。

 結果、昭和最後の年となる1988年には年間販売台数でもマークIIはカローラに次ぐ2位となったほど。若者だけでなく、昭和の時代には日本の自動車市場はオーセンティックなセダンを求めていたのだった。

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