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『モータースポーツ都市宣言』を掲げる三重県鈴鹿市でGTレースカーが公道をパレードラン!

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了、遠藤樹弥

鈴鹿モータースポーツフェスティバル開催

 まだまだ厳しい暑さの残る8月22日、鈴鹿市主催の鈴鹿モータースポーツフェスティバルが行われ、夏休み最後の週末に行われる鈴鹿10時間耐久レース(決勝レースは8月25日)、通称“鈴鹿10H”に参加予定のレーシングカー35台による公道パレードが大きな盛り上がりを見せていました。

 この鈴鹿モータースポーツフェスティバルとレーシングカーによる公道パレードは、昨年も開催が予定されていましたが、当日は台風の影響で天候が悪化、直前になってキャンセルされていました。関係者にとっては1年越し、2年分の悲願が叶ったことになったわけです。

国内初の大規模なレーシングカーの公道パレード

 パレードに使用されたのは、鈴鹿市道加佐登鼓ケ浦線、通称“サーキット道路”で鈴鹿サーキットから市内中心部にあるイオンモール鈴鹿までの約3.3km。ここを往復しました。レーシングカーによるこれほどの規模の公道パレードは、国内初となるものです。

 公道パレードに続いて、イオンモール鈴鹿のメインステージで行われたオープニングセレモニーで、主催者である鈴鹿市を代表して末松則子市長は赤いレーシングスーツに身をまとい「今年は好天に恵まれて、やっと(公道パレードが)開催できました。昨年は台風の影響で直前にキャンセルとなっていたので、その分、感無量です」と声を詰まらせていました。


 F1日本グランプリや2輪の鈴鹿8時間耐久レースなど、長年ビッグイベントの開催を続けてきました鈴鹿サーキットがある三重県鈴鹿市は、平成16年から『モータースポーツ都市宣言』を掲げてきました。その鈴鹿で育った末松市長は「市長になった時からモータースポーツによる鈴鹿のブランドイメージを確立するために、何か情報発信をしたい、と思ってきました」という。鈴鹿サーキットも、その想いを共有するようになり、やがてイオンモール鈴鹿も輪に加わって公道パレードの実現に向け協議を重ねてきました。

 さらに、その輪に三重県警も加わることになります。その結果、公道を完全閉鎖してのレーシングカーによるパレードが実現したのです。

 ここに来るまで、関係各位の苦労は並大抵ではなかったと思いますが、開催に向けての現場作業も大変だったようです。例えば公道の完全閉鎖。鈴鹿サーキットからイオンモール鈴鹿まで、3.3kmの市道の両サイドにフェンスが立てられました。

 もちろん、フェンスの大半は前日までに設置されていましたが、交差点はもちろん、商店や住居の前は、それまでは開放しておいて、パレードの直前にフェンスが設置されます。そのために交差点やコンビニの前にはフェンスが用意され、スタッフもスタンバイしていました。

 鈴鹿市によるとボランティアが400名ということですが、その多くが公道閉鎖の要員として準備していたように見受けられました。さらに専門業者からは50名のスペシャリストが応援に駆け付けるなどスタッフは大所帯になっていました。ちなみに、用意されたフェンスは3575本だったとのことでした。


 こうして、文字通り鈴鹿市が、市長さんから市職員、公募のボランティア、そして専門業者まで官・業・民一体で作り上げた鈴鹿モータースポーツフェスティバルとレーシングカーによる公道パレード。三重県知事、鈴木英敬さんも駆けつけておりました。 

 久々に鈴鹿でレースに参戦することになったミカ・ハッキネン“選手”らによるドライバートークショーなどのコンテンツも多くのファンや市民の方々で大盛況となりました。

 主催者発表では、サーキット道路の沿線でパレードを見た人も含めて観客動員は1万1000人。夏休み中とはいえウィークデーということを考えれば大成功と言っていいでしょう。ファンならずとも来年のイベントにも期待が高まっていきます。


 末松市長も「来年のことはまだ何も決まっていませんが…」と前置きしながらも「昨年はキャンセルになりましたが、出来なかったことで問題点が見えてきました。今年は開催することができましたが、出来れば出来たで、また新たな問題点も見えてくるかもしれません。そんな問題点を一つ一つクリアしながら、(イベントを)続けて行きたいと思っています」とコメントしていました。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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