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日本のフォーミュラレース界に貢献、神谷誠二郎さんの追悼式を鈴鹿サーキットで実施

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了

関係者やファン350人が笑顔で別れを告げた

 天皇誕生日の振り替え休日となった2月24日、鈴鹿に本拠を構えるレーシングカーコンストラクター、ウエストレーシングカーズの創業社長、神谷誠二郎さんのお別れの会が行われました。会は追悼式「THANKS神谷」と銘打たれ、数多くのレーシングカーを生み出すとともに、数多くのレーシングドライバーを輩出・育成、何よりもモータースポーツを愛し続けた神谷さんに感謝しよう、と呼びかけられました。

 新型コロナウィルスが心配される中、会場となった鈴鹿サーキットには350人を超える多くの関係者、ファンが詰めかけました。昨年12月29日に亡くなった神谷さんですが、故人の希望により葬儀は近親者だけで済ませ、日を改めて四十九日法要も終えたこの日、故人が愛し、また活躍する場ともなっていた鈴鹿サーキットでのお別れ会。多くの人から慕われ親しまれていた神谷さんに、最後のお別れを告げていました。

 鈴鹿サーキットのホスピタリティラウンジへと集まり、祭壇に献花。全員が揃って黙祷を捧げた後、いよいよ追悼式「THANKS神谷」はスタート。MCを務めるのはレジェンドドライバーとして知られる関谷正徳さんの奥さんで、自らも「神谷さんとは競女カップで一緒になって頑張ってきた戦友」と言う関谷葉子さんのマイクで式は進行していきました。

 故人と関係の深かった畑川モータースポーツの畑川治さんは「神谷さんと一緒にモータースポーツを始めました」とジムカーナ参戦時代からの思い出を。現在はインタープロトモータースポーツを主催する関谷正徳さんは「神谷さんが作ったクルマで最初に乗ったのはフォーミュラ・エンジョイでしたが、素晴らしいものを作ったんだなあ!」と感心し、自らプロデュースする競女カップで協力し合う仲になったこと。ドライバーとしてだけでなくサポーターとしても親交の深かった東海電装の浅井錦二さんも、「社長に勧められるまま、気が付けばF4までステップアップしていました」と、それぞれの思いを語っていました。

 神谷さんのご子息、神谷弦(かみたに げん)さんが新社長としてウエストレーシングカーズを舵取りしていく新体制が紹介された後、レジェンドドライバーとして故人とも長い付き合いのあった福山英朗さんがMCサポート。日本のレース界に貢献し、世界のF1界への登竜門として日本の入門フォーミュラカーの礎を築くなどもしてきた神谷さんの思い出話は尽きません。

 FL500時代にライバルとして切磋琢磨しあったハヤシ・レーシングの林将一さんやマナティレーシングの大野和幸さん、阿波秀男さん、そしてさらにその先輩コンストラクターとしてFJ360/FL500を手始めにF1GPマシンまで作り上げた解良喜久雄さんと由良拓也さんも登壇。2人は「F1マシンを作るのも大変だったけど量販モデルを作るほうがもっと大変だった」と口を揃えてコメント。1300台を超えるレーシングカーを製作・販売したウエストレーシングカーズ=神谷さんの業績を讃えていました。

ウエストレーシングカーズマシンのパレードラン

 場所をレーシングコースに移してもう一つのプログラム、多くのレーシングカーを生み出すとともに、多くのレーシングドライバーを発掘・育成した神谷さんの業績を讃えるべく、3人のドライバーによるパレードラップが行われました。

 ドライバーは田中実、服部尚貴、阪口良平の3人で、それぞれウエストレーシングカーズ製のフォーミュラでチャンピオンを獲り、海外の上級カテゴリー・レースへとステップアップしていったキャリアを持っています。

 

 すでにドライバーを引退し実業家としてレース界にかかわっている田中さん、SUPER GTを統括するGTアソシエーションに勤務する傍らツーリングカーレースにも参戦中の服部さん、そして今シーズンもSUPER GTに参戦が決まっている現役バリバリのドライバー阪口選手。現在の状況では三人三様ですが、ウエストレーシングカーズのドライバーとしてキャリアをスタートさせたのは共通しています。

 田中さんと服部さんは、それぞれがチャンピオンを獲得したウエストFJ1600で、阪口さんは自らが開発ドライバーを務め近年大ヒット商品となったVITA-01で鈴鹿サーキットの東コースをパレードラン。

 ピット上のスーパービジョンに歴代のウエスト製レーシングカーが駆け抜けるシーンや、在りし日の神谷さんの笑顔が映し出されるという趣向で、走り終えたドライバー3人も含め、サーキットにいた人々全員が大きな拍手でこの日の追悼式「THANKS神谷」を終えることになりました。

 

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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