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トイレットペーパー争奪戦の暗黒時代 「オイルショック」期に生まれたクルマの明と暗

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TEXT: 藤田竜太(FUJITA Ryuta)  PHOTO: トヨタ、マツダ、富士スピードウェイ、Auto Messe Web編集部

パワーダウンを余儀なくされた1973年誕生車

 新型コロナウイルスの影響で、スポーツの試合やコンサートの中止や延期、さらに小中学校、高校への臨時休校要請など日に日にその影響が大きくなってきている。そうした中、デマによるトイレットペーパーやティッシュ、米、肉、パンの買い占めがはじまり、マスクや消毒用のアルコールだけでなく、日用品や食料品までが品薄になってしまった。まるで「オイルショック」のような状況だ。

 オイルショックとは、1973年10月に第四次中東戦争の影響から、原油価格を70%も引き上げられた結果、日本国内での消費は大きく低迷。大型公共事業が凍結・縮小する事態にくわえ、物資が不足するという噂も流れ、トイレットペーパーや洗剤の買い占め騒動が起こった。自動車業界では、ガソリンスタンドの土日営業が停止になり、マイカー運転を自粛などが叫ばれたのだ。

 今回は、いまから47年前に起きたオイルショックの影響を受けたクルマを紹介しよう。

 

日産・スカイライン2000GT-R

 1973年に登場した有名なクルマといえば、”ケンメリ”の愛称で親しまれた「スカイラインGT-R(KPGC110)」。ハコスカGT-Rの心臓であるDOHCのS20エンジンを積んで颯爽と登場したが、オイルショックや排ガス規制の影響もあり、わずか197台で生産終了。レースにも出場することなく消えてしまった(もっとも出場しても、当時のライバルだったサバンナRX-3には勝てる見込みもなかったが……)。

 

トヨタ・パブリカ スターレット

 1973年のトヨタはモータースポーツのエントリーカーの代表となった、初代スターレット「パブリカ スターレット(KP47)」を販売。セリカの弟分的な存在でセリカのフルチョイスシステムの簡略版、フリーチョイスシステムを採用した2ドアのファストバッククーペだった。レースでは日産のB110サニーやホンダ シビックとの接戦を繰り広げ、ラリーやシムカーナ、ダートラでも活躍した。

 

ホンダ・シビック

 初代シビックのデビューは1972年。しかし、翌1973年には世界で初めてマスキー法をクリアした、”CVCCエンジン(65馬力)”を搭載したモデルが登場。1974年には76馬力にまでパワーアップしつつ、5速MTを搭載した「1200RS」がデビューした。

 これがシビック初のスポーツモデルで、いわばシビックタイプRのルーツ。ちなみにRSとは「ロードセーリング」の略。オイルショックや排ガス規制の真っただ中、「レーシング」や「スポーツ」を名乗るのは憚られたのだろう。

 

マツダ・サバンナRX-3 GT

 初代「サバンナ」が登場したのは1971年。5台目のロータリーエンジン搭載車だったが、初期型のGSⅡには最高出力105馬力の10Aロータリーを搭載し、イッ気にハコスカGT-Rのライバルになる。さらに1973年には、本命の12Aロータリーを積んだ「GT」をデビュー。初代ロードスターよりも小さな車体、885kgという超軽量ボディに、125馬力のロータリーパワーを炸裂させた。しかも100万円を切る81万5000円という、じつに魅力的な車両価格だったのだ(ハコスカGT-Rは150万円)。

 ツーリングカーレースでも、あのスカイラインGT-Rの連勝記録を49でストップさせて、以後通算100勝の大記録を達成。厳ついフェイス、いまでいえばドヤ顔で、リーズナブルかつ速いスポーツカーだったので、街の走り屋にも人気は上々だった。

 しかし、燃費の悪いロータリーエンジンは、オイルショックで大打撃を受ける。その後に誕生した昭和50年度排出ガス規制適合車の”AP仕様”はパンチのないエンジンになってしまった。

 また、当時はマツダ以外にもロータリーを計画していたメーカーがあり、日産は、サニー、シルビア、スカイラインなどでロータリー車を試作。とくに2代目シルビアはロータリーになる線が濃かったが、オイルショックで立ち消え。トヨタもロータリーの研究をしていたし、シボレーのコルベットにもロータリーの試作車があったが、市販化は断念されたのである。

 

三菱・ランサー1600GSR

 ”ランエボ”シリーズの先祖、初代「ランサー」も1973年デビュー。FRのコンパクトスポーツモデルで、ラリー競技車両ベースの「1600GSR」も同年9月に追加された。ミクニ製ソレックスツインキャブを用いた110馬力の4G32型4気筒SOHCエンジン=「サターン」を搭載。オーストラリアのサザンクロスラリーでは1位から4位を独占し、その素性の良さを証明した。

 

セリカLB 2000GT

 2ドアハードトップクーペの初代「セリカ(ダルマセリカ)」に、テールゲート(LB=リフトバック)を備えた、セリカ「LB2000GT」が登場したのも1973年のこと。2リッターのツインカムエンジン”18R-G(145馬力)”が目玉だったが、LB2000GTはスポーツカーではなく、スペシャリティカーだったので走りの性能は今ひとつ。

 ただ、スーパーカー世代には、ドイツのシュニッツァーが製作したシルエットフォーミュラ(Gr.5)のセリカLBターボの印象が強いだろう。

 

BMW2002ターボ&ポルシェ930ターボ

 1973年の第一次オイルショックの時代に生まれた国産車はこんな感じ。それに対し、海外ではどうだったかというと、BMWは量産車初のターボエンジンを搭載した「BMW2002ターボ」を1973年に発表。1.9リッター直列4気筒SOHCにKKK製のターボチャージャーを搭載。最高出力170馬力を発生し、BMW3.0CSに匹敵する211㎞/hの最高速を誇った。

 そして、ポルシェはスーパーカーの代名詞「930ターボ」をフランクフルトショーに出展。空冷水平対向6気筒2994ccにKKK製3LDZターボの組み合わせで、260ps/35.0kgm、最高速度は250km/h以上というモンスターぶりをみせつけた。「ターボ=高性能、ターボ=最新の技術」という意識を、日本のクルマ好きに刷り込んだこの2台が、オイルショックの1973年デビューというのが、不思議な因縁を感じさせる。

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  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • 藤田竜太(FUJITA Ryuta)
  • モータリング ライター。現在の愛車:日産スカイラインGT-R(R32)/ユーノス・ロードスター(NA6)。物心が付いたときからクルマ好き。小・中学生時代はラジコンに夢中になり、大学3年生から自動車専門誌の編集部に出入りして、そのまま編集部に就職。20代半ばで、編集部を“卒業”し、モータリング ライターとして独立。90年代は積極的にレースに参戦し、入賞経験多数。特技は、少林寺拳法。
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