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【トヨタ・スズキ編】クルマづくりの原点を探る、自動車メーカーの意外なルーツとは

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TEXT: 御堀直嗣(Mihori Naotsugu)  PHOTO: トヨタ、スズキ、Auto Messe Web編集部

トヨタとスズキは織機づくりから創業

 今年は、マツダとスズキが創業100周年を発表。ただ、クルマやバイクを製造しはじめたのは、マツダが1931年(昭和6年)に3輪トラックを、スズキは1952(昭和27年に)エンジンを自転車に取り付けた2輪車を発売してからとなる。その前史では、別の物づくりの時代があった。

 国内のほかの自動車メーカーも、クルマづくりの前に様々な物をつくっていた時代がある。100年前といえば明治元年(1868年)から約50年を経たころであり、蒸気機関によって推し進められた産業革命で発展した西洋の機械文明に、必死に追いつこうとしていた日本人の奮闘があった。自動車製造前史という点で、トヨタとスズキは「織機(しょっき)」づくりから創業。織機とは、糸から布を織る機織り機(はたおりき)のことだ。

 そんな自動車メーカーの原点を知る企画。前回はマツダとホンダ編(過去記事)をお伝えしたが、今回はトヨタとスズキ編を紹介したい。

 

【トヨタ】

 トヨタの創業者である豊田佐吉は、江戸最後の年である慶応3年(1867)年に遠江(とおとうみ)の国敷知郡山口村(現在の静岡県湖西市)に生誕。翌年が明治元年のことだ。父親の大工の仕事を手伝いながら、織機の改良を行なっており、織機は人の手によって動かされてきたが、それを動力化しようとしたのである。

 自動化したのが、佐吉の長男である豊田喜一郎。喜一郎は、豊田自動織機製作所内に自動車制作部門を1933(昭和8)年に設置し、2年後の昭和10年、トヨタ初の乗用車(A1型試作車)を完成させた。同時にトラックの開発も行ないながら、36年にはAA型乗用車の内覧会を実施。1937(昭和12)年に「トヨタ自動車工業」として豊田自動織機から分離独立することになる。いまから83年前のことだった。

 

【スズキ】

 スズキも、織機製造から始まった会社。創業者の鈴木道雄は1887(明治20)年に遠江の国で生まれた。豊田佐吉とは同郷である。だが、佐吉が現在の湖西市(浜名湖の西側)出身であるのに対し、鈴木道夫は現在の浜松市生まれ。道雄も大工の修行をしたあと、織機の製造に関わった。

 きっかけは、日露戦争の影響で大工仕事が減り、弟子入りした大工の親方が足踏み式機織り機の製造をはじめたこと。同じ地域から織機製造を志す人材が生まれた背景に、当時の遠江は木綿の産地であったことがあげられる。

 道雄も、1920(大正9)年に「鈴木式織機株式会社」を起業(スズキはこれを創業に今年100周年を発表)。海外へも織機の販路を広げながら、次の製品として自動車を選んだ。1937(昭和12)年に一度は試作車を完成させているが、日中戦争の拡大から第二次世界大戦に至り、この間、自動車開発どころではなくなった。戦後になって、自転車にエンジンを取り付けることから、オートバイとクルマの製造へ再び動きはじめたのである。

 第二次世界大戦後、自転車にエンジンを取り付ける構想は、まさにホンダの創業者・本田宗一郎の発想と同じ。スズキは1952(昭和27)年に「バイク・パワーフリー号」を発売。続いて、軽4輪車の「スズライト」が1955(昭和30)年に発売となる。この間、1954年に鈴木織機株式会社から、鈴木自動車工業へと社名変更を行なった。

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