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国産スポーツカーの幕開け、1960年代に生まれた日本の名モデル5台を振り返る

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了

【トヨタ・スポーツ800】

アンダーパワーを軽量な空力ボディでカバー

 1リッター以下と排気量がほぼ同じ。ホンダS800の好ライバルとされるトヨタの「スポーツ800」ですが、そのコンセプトは好対照なものでした。

 ホンダの”エス”がツインカムの水冷直4エンジンに対し、スポーツ800は初代パブリカのエンジンを発展させた空冷のプッシュロッド・フラットツインを搭載。オリジナルの697ccから790ccに排気量を拡大し、ツインキャブを組み込むと同時に圧縮比を高めるなどのチューニングを施していたものの、最高出力はS800の70馬力に対して6割ほどの45馬力に過ぎませんでした。

 ただし、車重が580kgとライバルに比べて140kgも軽く、空気抵抗の少ないボディを利して最高速は155km/hを記録。160km/hのライバルに匹敵するパフォーマンスを発揮したのです。

 それはコンセプトモデルの時代から受け継がれてきましたが、レースでは好燃費という武器に繋がり、特に耐久レースでは大活躍。ライバルが”エス8″(エスハチ)と呼ばれていたのに対して、”ヨタ8″(ヨタハチ)、となんとも愛らしい響きの愛称で呼ばれていたことが思い出されます。

 

【トヨタ2000GT】

珠玉のデザインを纏ったグランドツアラー

 67年に発売された「トヨタ2000GT」といえば、純国産乗用車のクラウンを1955年に登場させて以来、技術を磨いてきたトヨタが、そのレベルを世界に問うとして開発したスポーツカー。

 ヤマハとの共同開発で生まれた2000GTはクラウン用OHC2リッター直6の2M型にヤマハで設計開発したツインカムヘッドを組み込んだ「3M型」エンジンをX型バックボーンフレームに搭載。サスペンションは前後ともにダブルウィッシュボーン式で、ブレーキも4輪ディスクブレーキを採用するなど、スポーツカーにふさわしい仕様だったのです。

 このようにパッケージ自体も高いレベルで開発されていましたが、66年の第3回日本グランプリにデビュー。純レーシングカー(グループ6)のニッサンR380に続く3位入賞を果たしたのを皮切りに、数々の耐久レースで活躍してゆきます。 また、同年10月には谷田部の自動車高速試験場においてスピードトライアルを実施。6時間から10000マイル(約16000km)まで、全13の種目において平均速度の記録を塗りかえました。

 さらに、国産車として初のリトラクタブルヘッドライトを採用。ロングノーズに短めのファストバック・キャビンを組み合わせたスタイリングや、ヤマハが手掛けた本木製のダッシュボード、ステアリングホイール、本革張りのシートなど内装のレベルも申し分なし。まさに、名実ともに日本を代表するスポーツカーに相応しい1台といえるでしょう。

 

【マツダ・コスモスポーツ】

宇宙船と評された2人乗りのREスポーツ

 ロータリーエンジン(RE)を搭載していることに加え、デザイン面でもライバルと一線を画していたスポーツカーが、1967年に登場したマツダの「コスモスポーツ」でした。

 RE搭載車を本格的に量販したということでは世界的にも唯一無二のメーカーとなるマツダ(当時は前身の東洋工業)が、その技術力をアピールするために開発したとも伝えられています。

 世界初となる2ローターのREをフロントに搭載していましたが、REのコンパクトさを生かしてノーズは必要以上に長くせず、また短めのキャビンに続くテールのセクションは伸びやかなデザインに。まるで宇宙船のような特徴的なスタイリングで魅了しました。

 サスペンションはフロントがダブルウィッシュボーン式で、リアはド・ディオン・アクスルで前後ともにコイルスプリングと組み合わせて使用。ブレーキはフロントにディスクブレーキが奢られていました。

 また、直立したダッシュボードに大小7個の丸型メーターが並ぶコクピットは、比較的タイトに纏められ、その辺りもスポーツカーの雰囲気を巧みに演出。いま見てもじつに美しい日本の古き良きスポーツカーといえるでしょう。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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