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メルセデス・ベンツが「欲しがった」AMG! 世界一成功したチューニング屋の歴史とは

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TEXT: 妻谷裕二(TSUMATANI Hiroji)  PHOTO: メルセデスAMG GmbH、メルセデスマガジン&AMGカタログ、妻谷裕二

数々の名車を残してきたAMGの軌跡

 メルセデス・ベンツの公式チューニングメーカーとして、日本でもすっかり定着した「AMG(エー・エム・ジー)」。国内で販売されているメルセデス・ベンツの各クラスにはAMGのモデルが設定され、街中を走るクルマからもAMGのロゴを目にすることがあると思う。

 もともとエンジンチューニング事業を目的に1967年、ダイムラー・ベンツ社の元社員ら3人によって立ち上げらたAMG。その後のレースシーンでの活躍によって1988年にはダイムラー・ベンツ社と提携し、その後「メルセデスAMG」の量産モデルがラインアップされるまでの歴史は、以前紹介させてもらったとおりだ。詳しくはこちら

 今回はAMG社を興した人物のひとり「ハンス・ヴェルナー・アウフレヒト」が1967年にダイムラー・ベンツ社から独立し、1985年のフランクフルト・モーターショーで再び古巣ダイムラー・ベンツ社と出会い、提携・発展するまでの経緯にスポットを当て紹介しよう。

古巣との提携とラインナップの拡充

 1985年のフランクフルト・モーターショーのAMG社の展示ブースを公式に訪れた当時のダイムラー・ベンツ社の役員「故ヴェルナー・ニーファー」はそこに展示されていたAMG 300E 5.0とAMG 500GEの2台を大変気に入り、AMGの社長であったハンス・ヴェルナー・アウフレヒトに向かって「これこそ私達の求めていたクルマだ。私達なら共に素晴らしいクルマを造っていけるだろう」と語った。それは1967年に独立してAMG社を興して以来初めての古巣ダイムラー・ベンツ社との新たな出会いだった。

ハンス・ヴェルナー・アウフレヒト氏

 このフランクフルトでの出会いをきっかけに、ダイムラー・ベンツ社とAMG社は後に親密な協力関係を結び、ジョイントベンチャー契約を経て、2005年にAMG社はメルセデス・ベンツの完全子会社となった。特に1993年には協力協定の成果として初の共同開発モデル「メルセデス・ベンツC36 AMG(W202)」が発表され、AMGの知名度がさらに高まり、「AMG」は商標として特許庁に認可された。

 アメリカのロック歌手「ジャニス・ジョプリンが心底欲しがったであろうロケット」(題名:MERCEDES BENZ)とニューヨークタイムズ紙が絶賛したメルセデス・ベンツC36 AMGとして有名だ。そしてAMGロードスター、 伝説のメルセデス・ベンツE500の後に輸出用のE36 AMG右ハンドル、 E50 AMGの生産と続く…。

Mercedes-Benz C36 AMG

 現在のアウフレヒトは1995年に自分の持つAMG株をすべて当時のダイムラー・クライスラー社に売却し、HWA AG(ハンス・ヴェルナー・アウフレヒト社)という名のレースに特化した専門会社の会長としてDTM(ドイツ・ツーリングカー選手権)の参戦、ヨーロッパF3へのエンジン供給等で活躍している。

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