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なんと軽トラ&軽バンまで! 超メジャー外国人デザイナーが手掛けた意外すぎる日本車たち

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TEXT: 近藤暁史(KONDO Akifumi)  PHOTO: スズキ、ランボルギーニ、ダイハツ、トヨタ、Auto Messe Web編集部

部分的に手掛けたモデルもあった

 ベルトーネはなくなった(2回も倒産)し、ピニンファリーナもワンオフ架装メーカーみたいになったものの、イタリアの「カロッツェリア」というのは、自動車史はもちろん、クルマ好きにとってもやはり別格の存在だ。

 イタ車を中心とした輸入車だけでなく、以前までは日本車もけっこう手がけていて、いすゞ117クーペやスバルのアルシオーネSVXなど、見れば頼んだだけのことはあるなと納得したりする。ただ、すべてがそうではないのが難しいところで、言われて初めて「そうなんだ」ということも。今回はそんな意外なカロッツェリアの作品をまとめてみた。

スズキ キャリイ

 1969年に出た4代目はジウジアーロの作品。角目のユニークな顔つきなだけでなく、バンは前後対象というのも凄い。というか、軽トラ&軽バンを巨匠に頼むのも凄い。

ダイハツ ムーヴ

 初代ムーヴのデザインを担当したのはイタリアのイデア。パンパーまで続くAピラーのラインなどはさすがだが、社内デザインとミックスされている。

ホンダ シティカブリオレ

 ベースは社内のデザインで、なぜかカブリオレ部分だけピニンファリーナが担当。その理由は当時、ソフトトップのデザインと設計、製作はピニンファリーナが世界トップクラスだったから(シティデザイナー談)。

 ピラーのところにピニンファリーナのバッジが付いているのだが、日本車でカロッツェリアのバッジが付いているのはこれぐらいだろう(特別仕様車は除く)。

日産 マーチ

 1982年に登場した初代は直線基調の2ボックスで、これはジウジアーロが手がけたもの。

 ただ日産が手を入れたのでフツーな感じになり、当時も斬新な印象はなかった。ちなみにこの当時のジウジアーロは似たようなデザインをふたつする傾向にあって(手抜きではないと思うが)、フィアットのウーノを同時期に手がけている。

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