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中東が舞台なのにダカールラリー! パジェロの活躍で日本でも大フィーバーを巻き起こした「パリダカ」のいま

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了,Auto Messe Web編集部,MITSUBISHI,グループPSA,TOYOTA

年末から年始にかけての大イベントは大きく変化  舞台も南米から中東へ転戦

 スポーツカーによる耐久レースのデイトナ24時間や、氷雪のワインディングを駆け抜けるモンテカルロ・ラリーとともに、モータースポーツのシーズン開幕を告げるイベントとして年初の風物詩となったラリーレイドがダカール・ラリーです。

 1978年の年末にスタートが切られた第1回大会では、年末も押し迫った12月26日にパリをスタート、年明け早々にアフリカにわたってから本格的に競技開始となっていました。そしてこれがしばらくの間は恒例のスケジュールとなっていました。

 しかし様々な理由から競技のパッケージが変わっていき、2009年に南米大陸に移っていた競技舞台も2020年には中東を舞台に戦われました。今回はこのダカール・ラリーについて振り返ることにしましょう。

パリ・ダカといえばアフリカ・サハラ砂漠だった

 イベントの正式名称は、今でこそダカール・ラリーと呼ばれていますが、始まった当初はフランスの出発点とセネガルのゴール地点を連ねてパリ~ダカール・ラリー、通称“パリ・ダカ”と呼ばれていました。

 そして2008年に行われる予定だった第30回大会まで、スタート地点はパリからフランス国内を転々とした後、スペインのバルセロナやグラナダに移されたこともありました。

 ゴール地点が92年にはダカールでなく南アフリカのケープタウンになったり、97年にはダカール発着、2000年代にもスタート&ゴール地点が変更されたりしてますが、基本的にはアフリカ大陸のサハラ砂漠などを舞台にその競技のパッケージが大きく変わることはありませんでした。

 そしてゴール地点がダカールとされた大会ではゴールした参加車両がそろって海岸線まで走るビクトリーランも含めて競技が大団円を迎えるのが通例となっていました。

 ところが、08年に行われる予定だった第30回大会がテロリストの攻撃を避けるために中止となり、中央ヨーロッパを舞台にした代替イベントを実施した後、翌09年からは南米のアルゼンチンやチリ、さらにはペルーが舞台となって開催が続けられるようになりました。

 アフリカから舞台を移し、ダカールとは何ら関係がなくなっても、それまで認知度の高かったダカールのネーミングを使用してダカール・ラリーと呼ばれるようになりました。その後、南米でも情勢不安が高まっていったことから、2020年からは舞台を中東に移しての開催となっています。

 ラリーレイドとは、砂漠や山岳地帯など険しい自然環境の中で速さを競う競技で、類型のクロスカントリーとかオフロードレースと呼ばれることもあります。かつて新聞などでは“冒険ラリー”と呼ばれていましたが、パリ~ダカール・ラリーとして78年の年末にスタートが切られた第1回大会当時は、より冒険的な要素が多く込められていました。

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