90年代の国内ラリーで小排気量Aクラスに君臨
また、参戦体制が充実していたのもアルト・ワークス特筆事項のひとつだった。サポートは実質的にワークス体制に準じるスズキスポーツ(現モンスター・スポーツ、代表:田嶋伸博)が担当し、ドライバーには天才の呼び声が高い粟津原豊が起用されていた。
アルト・ワークスは、投入初年となった1988年に坂昭彦がAクラスのタイトルを獲得。そして1989年から1991年まで粟津原が3連覇。1992年は堀田憲幸のダイハツ・ミラTR-XXにいったんタイトルを譲る。
が、再び1993年から1995年まで、さらに1997年から1999年まで2度の3連覇を成し遂げ、粟津原は合計9度のAクラスチャンピオンを獲得。まさに、アルト・ワークス強し、粟津原豊強しというAクラスの10年だった。
全日本ラリー選手権は、1990年代から2000年代にかけ、排気量区分(時代によって排気量の区切りも変化する)のほかに、駆動方式(2WD/4WD)の違いもクラス区分の条件に加えられ、参戦クラスが細分化する傾向を強めていったが、ダイハツが2000年に713ccのストーリアX4を繰り出すまで、軽自動車のアルト・ワークスはAクラスの王者として君臨し続けた。