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激レアな固体がフランスにある! 現存たった1台のディーノ・プロトタイプ206GT ピニンファリーナとは

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了、Ferrari

ピニンファリーナがデザインしたプロトタイプ

 シリーズ・プロトタイプの第1回は、スモール・フェラーリとしてフェラーリに新しい流れを生みだしたディーノ206GTのプロトタイプpart.1としてレーシングカーを源流としたディーノ206GTを紹介しました。part.2となる今回は、いよいよメインテーマであるプロトタイプとして、フェラーリ・ディーノ・プロトタイプ206GTピニンファリーナを紹介するとともに、ディーノ206GTの行く末についても解説します。

フェラーリ ディーノ プロトタイプ206GT「ピニンファリーナ」

 そのプロトタイプは、ル・マン24時間レースが行われるフランスはル・マン市にあるサルト・サーキットに併設された自動車博物館、Musée des 24 Heures du Mans(ル・マン24時間博物館)に展示されています。車名はズバリ、Ferrari Dino Prototype 206 GT Pininfarina(フェラーリ・ディーノ・プロトタイプ206GT ピニンファリーナ)。

 博物館の展示説明パネルにはCollection Automobile Club de L’Ouest – Don de Pininfarina(西部自動車クラブの蒐集物 – ピニンファリーナからの贈り物)とありましたが、ピニンファリーナでは「あれは贈答したのではなく貸し出したのだ」と主張している、とも伝え聞こえています。いずれにしても、まだル・マン24時間博物館には展示されているようなので、気になる読者は、コロナ禍が収まったら早めに訪れることをお奨めします。何せ世界に現存しているのはたった1台だけ、というレアな個体。

 もっとも、ディーノ206GTを開発するに際して製作されたプロトタイプは数台ありましたが、これはレーシングスポーツ…生産台数は僅か18台に留まり、グループ4のホモロゲーションを取得するのに必要な50台には届かなかったために、厳密に言うならレーシングスポーツではなくグループ6のレーシング・プロトタイプですが……として2L以下のクラスで活躍していたディーノ206Sのシャシー(Chassis No.0840)を使用。そこにピニンファリーナが手掛けた2ドア2座の流麗なクーペボディ、イタリア風に表現するならベルリネッタに仕上げたクルマ(個体)そのものなのですからレアな存在と言って然るべき1台であることは厳然たる事実です。

 そのFerrari Dino Prototype 206 GT Pininfarinaですが、イメージ(基本シルエット)こそ生産型の206GTに極似しているものの、ディテールを細かく見ていくと、各所に大きな違いが看て取れます。最大の違いはフロントビュー。生産型は一対のシングルヘッドライトを、それぞれ左右のフェンダーに押し込んだデザインに纏められていますが、プロトタイプではノーズの先端に、プレキシガラス(アクリルガラス、あるいはアクリル樹脂とも)製の一体物のカバーで覆った丸形4灯式のヘッドライトが装着されています。

 ちなみに、このデザインとボディ製作(架装)を担当したピニンファリーナが、やはりデザインを手掛けた兄弟車(メーカー=親が違うから従弟車か?)のフィアット・ディーノ・クーペ。こちらにはこのヘッドライトのデザインが活かされています。

 またフロントフェンダーの“峰”が、やや平板に映る生産型に比べてプロトタイプでは、より抑揚を効かせたふくよかなラインとなっていました。またリアビューではテールライトの形状が違っています。生産型が、フェラーリに多く見られる丸形4灯式であるのに対して、プロトタイプではウィンカーとストップランプとが上下2段になった一対のコンビライトを採用していました。またリアのエンジンフード上面に設けられたパワーバルジが、生産型では三等分した中央部分が左右に比べてわずかに盛り上がっているのに対して、プロトタイプではキャビンの背後に、高さは高いけれども前後方向に短いバルジが設けられているのが大きな違いとなっています。

 そう、ディーノ206Sのシャシーをベースにしたプロトタイプでは、“ディーノV6”を縦置きに搭載していたのに対して、生産型では横置きにマウントし、その後方、ボディ後端部分には、余り大きくはないけれども2人のドライブには十分な荷物が収まるトランクルームが設けられていたのです。ちなみに、ホイールベースはともに2280mmで、エンジンをプロトタイプの縦置きから市販型では横置きマウントに変更していますが、ホイールベースを変更する必要がなかった(短縮することができなかった)というのは、V6エンジンがいかに前後長が切り詰められたコンパクトなエンジンだったか、ということの証明に他なりません。

「跳ね馬」の称号を与えられなかった「ディーノ」のその後

 さて、こうしてプロトタイプから市販型へと移行していったディーノ206GTですが、排気量を2.4Lに引き上げたディーノ246GTを経て、1973年には後継モデルのディーノ208/308GT4へとバトンを渡すことになりました。208/308GT4はその名前からも分かるように2L/3LのV8を搭載した4シーターのクーペモデルで、ディーノV6も246GTとともに現役を引退。結果的にフェラーリの、市販のロードゴーイングモデルとしてのV6も姿を消すことになりました。

 ちなみに、ディーノ208/308GT4も、76年にはフェラーリ208/308GT4に名称を変更。これでディーノのブランド名称も途切れることとなってしまいました。

 スーパースポーツの名の下に、ほとんどのスポーツカーがボディを拡大し、同時にパフォーマンス不足を補うためにエンジンの排気量を拡大していく悪弊は、今もなお留まるところを知らないかのようです。こんな世の中だけに、軽量でコンパクト……全長は4m余り、車両重量は僅か900kgに過ぎなかった206GTの潔さは、今見てもとても素敵に映ります。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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