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「段ボール」ではなく「綿」製ボディだった! 旧東ドイツの珍車「トラバント」伝説

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田了

横置きFFエンジンにも先見の明があったトラバント

 搭載されていたエンジンは2ストローク500㏄の空冷2気筒で、これを横置きに搭載して前輪を駆動するという基本デザインでした。言ってみればDKWの戦前からあった前輪駆動車、F1の流れを汲むものでしたが、横置きエンジンで前輪を駆動するというスタイルは現在、大多数のクルマで使用されていることを考えるなら、その先見性の確かさには敬意を表するしかありません。

 ただし、こうして出来上がったP50ですが、市場からはさらに厳しいリクエストが出されることになりました。もっとパワーを、そしてもっとスペースを。これに応えるように開発が行われP50のエンジン排気量を拡大した600ccのユニットを搭載したトラバント600(P60)が登場。トラバント600(P60)さらに63年にはシャーシを一新したトラバント601(P601)が登場しています。トラバント601(P601)

 この時のアップデートで最大の変更点はボディサイズの拡大でした。全幅については実質的な拡大はなかったのですが、全長が3375mmから3555mmに180mmも延長されるとともに全高も1395mmから1440mmへと45mm嵩上げされていて、居住スペースは随分拡げられていました。

 1963年に登場したトラバント601(P601)は1990年に生産が終了するまで、四半世紀を超える長期間に渡って生産が続けられました。総生産台数は280万台を超え、旧東ドイツ国内では日常風景に溶け込むほどポピュラーな存在になっていました。トラバント601 この間、基本設計が変わることはありませんでしたが、細かな設計変更やアップデートは重ねられていました。エンジンなどはその典型で排気量も変えられていませんが、P60からP66まで7タイプが登場していました。しかし80年代から90年代にかけては世界的に、クルマの排気ガス浄化が求められた時代でした。そしてその要求に対応するには簡敏な2ストローク・エンジンでは無理がありました。

 そこで登場したのがトラバント1.1でした。これは提携していたVW社からポロ用の4ストロークの水冷1.1ℓ直列4気筒エンジンを調達して搭載したもので、他にもフロントブレーキをドラム式からディスク式に変更するとともに、サスペンションにもストラット式が採用されるなどシャーシもアップデートされていました。トラバント1.1ただし、こうした改良によって価格が引き上げられてしまい、旧東ドイツの国内ではあまり多くは販売されず、生産台数も4万台弱にとどまりました。そしてそのほとんどがポーランドとハンガリーに輸出されていました。

小排気量クラスだが世界戦ラリーでも活躍

 トラバントは、モータースポーツで活躍したことでも記憶されています。P601にはラリー専用車両であるP800RSがラインアップされていました。これはエンジン排気量を800cc(正確には771cc)までスープアップし、最高出力も約65psにまで引き上げられていました。トラバントP800RS

 例えばグループAやWRカーまで製作して活動したシュコダのように、東欧のクルマがラリーに参戦するケースはそれほど珍しいケースではありませんが、トラバントの場合も、わずか3台に過ぎなかったのですがラリーの専用車両を製作し、実際に80年代後半の世界ラリー選手権(WRC)でグループA仕様が活躍した記録も残っています。P800RSは1000湖ラリーなどで活躍している もっとも、排気量が800㏄に過ぎませんでしたから、活躍と言っても多くのファンの記憶に残るものではありませんでしたが、1986年シーズンからスポット参戦でフィンランドの1000湖ラリーに参戦を続け、毎年のように完走を果たしており、89年にはクラス2~4位入賞を果たしています。

 ちなみに、トラバントとは“遠い親戚”にあたるヴァルトブルクもグループAで参戦した記録が残っています。東欧諸国のクルマと最先端技術を争うWRCのイメージは、簡単には結び付かないかもしれませんが、実は古くから、根付いた活動を続けていたんですね。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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