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火花が散るほどの「ド車高短」! ヤンチャ過ぎた「ドリフト黎明期」を振り返る

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TEXT: 佐藤 圭(SATO Kei)  PHOTO: T&E/風間オートサービス/ヤングバージョン

いかに白煙を演出するかが当時の基本

 わざわざリヤを滑らせて、タイヤの出す白煙と角度と速さで競い合う。今でこそFIA競技にもなった「ドリフト」は、もともとストリートで生まれた「お遊び」だった。S13シルビアに180SX、マークII兄弟やハチロクなどで楽しんでいた、当時の少しアンダーグラウンドな世界を振り返りたい。

2000年頃の日光サーキットでのドリフトイベントの模様

2019年のFIAインターコンチネンタル土リフティングカップで走るR35GT-R

雑誌社主催の3大大会で目立つが勝ち!

 ドリフトの最高峰といえる「D1GP」がスタートしたのは2001年。その前身は「プロドリフト選手権」だ。当初はストリートの香りを色濃く残していたが、徐々に改造を含むレギュレーションが整備され、並行して車両のポテンシャルも高まっていった。そして、20年経った今では、ひとつの自動車競技としての立場を確立したのである。

 では本格的に競技化された当初や少し前である2000年ごろ、一般的なドリフト車両とはどんな作りだったのだろう。

 まだ「D1GP」が始まる以前、CARBOY誌の「ドリコンGP」やビデオOPTIONの「いか天」、そしてヤングバージョン誌の「STCC」が3大ドリフト大会と言われていた。上位に入れば走り好きの間で一躍有名人。そこで頭角を現し、現在もスーパーGTなどで活躍しているレーシングドライバーもいる。いかに目立つか。いかに走りやすくチューニングするか。まだまだ未熟な成長途中のカテゴリーの中で、参加者は試行錯誤した。

2000年頃の日光サーキット駐車場風景

リヤスポレスのシンプルな仕様が大流行した

 パーツやスペックといった定番の仕様、そしてエアロなどのスタイルにも流行があった。

 まずはエアロパーツから。もっとも流行が変遷したのはリヤスポイラー(以下リヤスポ)だ。1990年代は「B-WAVE」に代表されるベタ付けの巨大なリヤスポが一世を風靡した。それに対するアンチテーゼか、次の世代はリヤスポレス、つまりエアロを装着しないシンプルなスタイルが注目されるようになる。

 以降はハイパワー化したエンジンの能力を生かすべく、角度の調整ができ脱着も容易なGTウイングの装着が増える。前後バンパーやサイドステップは純正のラインを崩さないタイプか、車体をよりワイド&ローに見せる「裾広がり」系が人気を二分。前者を代表するブランドが「ヴェルテックス」や「GPスポーツ」なら、後者は「BNスポーツ」で、いずれもサーキットを席巻する人気だった。

2000年頃のGPスポーツエアロを装着したシルビアやスカイラインなどの集合

オールペンやステッカーチューンが人気に

 カラーリングも現在はスポンサーのロゴが多く、どちらかといえばレーシングカーに近い。しかし昔は他車種を含む純正カラー、もしくは派手なメタリックやキャンディが主流。AE86ではさらに古いドリフトの黎明期から続く、マットな艶消しも人気だったことを追記しておきたい。

ドリフとしているAE86の走行写真 D1GPが開催される少し前からステッカーの色やサイズを統一させてバランスよく並べて貼ったり、スポコンの大ブームからはバイナルグラフィックも定着した。

 それ以前はリヤウインドウ一面に交流のある「チーム」のステッカーを大量に貼るのも、ドリフト仕様ならではのドレスアップとして一時代を築いた。

ヤングバージョン誌のデモカーでもあったGTウイングを装着する180SX

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