「竹ヤリ」「出っ歯」「バーフェン」! 昭和のクルマ好きが熱狂した「街道レーサー」とは何だったのか (1/2ページ)

「竹ヤリ」「出っ歯」「バーフェン」! 昭和のクルマ好きが熱狂した「街道レーサー」とは何だったのか

若者たちが「走り回った」クルマでの驚異的自己主張

 1970〜80年代を席巻した狂気の街道レーサーたち。その当時を振り返ってみると「チバラキ仕様」と呼ばれたド派手なスタイルは近代アートのオブジェのようでもあった。“竹ヤリ”、“出っ歯”、“オバフェン”と称された改造は道路交通法を完全に無視したもので、日本における自動車の黒歴史でもある。今回はこの現象を振り返ると共に、なぜここまで大きなムーブメントになったのかを考えてみたい。

バイクからクルマへ移っていった時代

 当時の若者たちにとって“クルマ”はステータスであり、16歳で中型自動二輪免許(現在の普通二輪)を取得。バイクの楽しさを謳歌した後、18歳になると競うように自動車免許を取得し、クルマを手に入れることが当たり前の時代であった。16歳でバイクの楽しさ知ると言うことは「暴走族」への入り口であり、時代的に「不良=カッコイイ」という風潮が存在していた。しかし、当時の不良はファッション的な流行でもあり、その流れは単車(バイク)を卒業すると同時にクルマへとステップアップすることが「大人の階段」を登ることでもあった。

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 バイクに夢中になった不良少年たち。大学へと進学する者は少数派であり、高校を卒業すると同時にクルマ関係の仕事に就く者も多かった。仲間内には必ずと言ってよいほど自動車ディーラーや自動車修理、板金塗装を生業とする友人や先輩が存在し、手に入れたクルマの面倒を見てくれた。そうなると、現在におけるカスタムの先駆けはDIYに近いものがあり、知恵と工夫を凝らしたオリジナルの“改造”が主流となっていく。その源流のひとつは、とりわけグラチャンのサポートイベントのマシン、スーパーシルエットから発したとも言える。若者の自己主張の強かった時代、違法改造車が作られていたが振り返れば芸術品でもあった画像はこちら

 また、そんな改造車の風潮を取り上げた雑誌も大きな影響力を持ち始め、ホリデーオート誌(モーターマガジン社)の企画であった「Oh! My 街道レーサー」への投稿や同時期に高い人気を得ていたヤングオート誌(芸文社)で紹介してもらうことが大きなステータスになっていた。そして、誌面に取り上げてもらいたいが故に競争心が刺激され、改造の手法はより派手に、より過激になって行く。若者の自己主張の強かった時代、違法改造車が作られていたが振り返れば芸術品でもあった画像はこちら

そうなると、通常のチンスポイラーやリヤスポイラーを装着しただけでは目立つことができず、過激さを競い合った結果、最終的には“出っ歯”と呼ばれる全長1mを越えるフロントスポイラーや大きなリヤスポイラー、“竹ヤリマフラー”を纏うようになったのである。