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どうして市販しなかったの? 幻の「国産ミッドシップスーパーカー」4選

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TEXT: 片岡英明  PHOTO: Auto Messe Web編集部

期待を集めながら惜しくも市販されなかった国産スーパーカー

 今でこそミッドシップスーパーカーは世界中のあらゆるメーカーから販売されているが、日本メーカーにとってはホンダNSXなどごく少数で、ほぼ皆無と言っていい。だが、過去にはショーモデルとしていくつか提案されていたのはご存知だろうか? 2021年は東京モーターショー開催中止が決定したが、過去の同ショーで出展され人気を集めつつも、市販には至らなかった国産ミッドシップスーパーカーをモータージャーナリスト片岡英明が振り返る。

ジオット・キャスピタ:泡と消えた「公道を走るF1マシン」

 バブル期の80年代後半、女性下着メーカーの「ワコール」はジオットを設立し、童夢にスーパーカーの開発を依頼する。エンジンはスバルがイタリアのモトーリモデルニと共同開発したF1用の3.5L水平対向12気筒DOHC5バルブ(公称450ps)だ。ジオット・キャスピタ このエンジンを積んだ「ジオット・キャスピタ」は1989年の第28回東京モーターショーでお披露目され話題を独占する。ジオット・キャスピタ レーシングカー造りのテクノロジーを駆使したアグレッシブなクーペボディはフルカーボン製。シャーシもカーボンコンポジットの凝ったものだった。1991年に正式発売を予定していたが、バブルが弾け試作車が作られただけで終わっている。ジオット・キャスピタ

童夢・零:国産初のスーパーカー

 林ミノル率いるレーシング・コンストラクターの童夢は、1978年のジュネーブショーに流麗なフォルムの『童夢・零』を送り出した。童夢・零 ウエッジシェイプの強いクーペボディにガルウイングドアを組み合わせ、ミッドシップに搭載したエンジンは日産のL28型直6SOHCだ。これを発展進化させた童夢・零P-2も開発する。市販が期待されたが、当時の運輸省(現在の国土交通省)は頭が固く、型式認定取得の門戸を開かなかった。そのため市販化は途中で頓挫する。童夢・零

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