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「酒と女はやめられても、レースだけはやめられない!」ピンクのシルビアで戦い続ける「カリスマチューナー」の半生

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TEXT: Auto Messe Web編集部  PHOTO: ヤシオファクトリー/増田貴広

今もパワーアップしている「世界の岡ちゃん」

 クルマの楽しみ方は人それぞれ。「魅せる」ためのカスタマイズもあれば、気持ちよく走るためのチューニングもある。そしてサーキットやレースを楽しむこともある。サンデーレースやチューニングをかじっているなら知らない人はいないであろう「ヤシオファクトリー」の岡村和義代表。すでに60歳を超えた今でもサーキットを止められない。むしろパワーアップしている「世界の岡ちゃん」について迫ってみたい。

若い頃から本気でレース。モトクロスも楽しんだ

 日産シルビアのチューニングでは第一人者とも言える岡村代表と筆者は20年以上の付き合いである。ヤシオファクトリーは当時からシルビア専門ショップという印象が強いが、実はR32GT-Rだったりスープラだったり、幅広い車種を手掛けていた。また、ラジエータ屋という一面もあり「ストリートで使うならアルミではなく銅製のほうが使いやすい」と広めた人物でもある。そんな岡村代表とクルマやレースの世界とのつながりは最初、どのようなものだったのか?

「18~19歳のころはプロダクションカーレースをやっていました。当時は110サニーの時代でしたが、俺はチェリーで出てたんです。そのころはオイルショックもあって、レースがどうなるのかわからない状況でした。だから凄く速くてもプロを目指している人はいなかったと思う」

 岡村代表もプロレーサーになりたい気持ちはあったが、世間の情勢を考えたら無理だろうと諦めていた。排気量の小さいフォーミュラ(FLB)に初めて乗ったとき、すぐさまタイムを出せた。それでレースを頑張ろうと思ったのだが、ちょうど仕事で独立を考えているタイミングでもあった。

「ラジエータ職人をしていて、今独立しなかったら一生独立できない。レースか仕事か。一度レースを止めて仕事を頑張って、お金を貯めてからレースに戻ろうと思ったんです。それで22歳で関東ラヂエータサービスを立ち上げました。2年間でお金は貯まり、いざレースをしようと思ったときにはその情熱は失せていました」

 岡村代表25歳のとき。レースを止めたころ、ちょうどスーパークロスが日本に上陸し「カッコいいじゃん」と興味を持った。25~30歳はモトクロスのレースを楽しんでいたそうだ。しかし、コースが徐々に過激になって、鎖骨を折るような事故が増えていった。鎖骨を折ったら仕事ができないと岡村代表はモトクロスからも離れたのだ。

「モトクロスはおもしろかったですよ。前のバイクから砂利とか泥とか飛んできて『コノヤロ~』って闘争心に火が付く。ちょっとケンカみたいなモノだよね。そういう競争がおもしろかった」

日本中のチューニングカーにウチのラジエータ付けたい!

 その後、30歳でチューニングショップ「ヤシオファクトリー」を立ち上げる。岡村代表は20代のころから「日本中のチューニングカーに俺の作ったラジエータを付ける」という構想があった。当時のチューニングカーは有名ショップのクルマでも壊れてばかりで、自分の理想とはかけ離れていたのだ。これは絶対にコンピュータのセッティングが重要だと悟ったという。エンジンはさほど手を加えずノーマルのまま、コンピュータとタービンでパワーを出す。派手なチューニングではないから最初は受け入れられず、ラジエータの布教活動も続けていて、30代は毎日が赤字続き。転機は平成6~7年頃だった。チューニング誌「オプション」にヤシオファクトリーのラジエータが取り上げ、一躍人気商品となったのだ。

 時を同じくして、岡村代表は40歳で再びサーキットへ戻ってくる。サンデーレースで全国を回り始めた。最初は忘れもしない、間瀬サーキットでの「シルビア世界一選手権」。ピンクのS14シルビアで意気揚々と乗り込んだ。しかし……。

「けちょんけちょんにやられましたよ。12月の寒い雨の中、フリー走行の1本目、ストレートでクラッシュ。デビューすらできなったから。もう最悪でした。それでサンデーレースに対して心に火が付いたんですね」

 ここからサンデーレースにどハマりして、店に戻るとすぐさまシルビアを直す。筑波のレースならほとんど優勝。中山サーキットへの遠征でも優勝し、悔しかった「シルビア世界一選手権」でも勝利を手にした。あれから23年。今でもサーキットを走り、サンデーレースだけでなく、JAF戦もある「レジェンドカーレース」などに参戦。出場するだけではなく、しっかりと結果を残し続けている。現在63歳。今でも筑波サーキットの自己タイムを更新しているそうだ。

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