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実は走りも相当イケイケだった! 元祖デートカー「プレリュード」の魅力

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TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎 七生人/本田技研工業

2代目は“スペシャル・プライベート・カー”として登場

 2代目プレリュードでちょっと気になることがあり、手元にある某自動車雑誌のバックナンバーを本棚から引っ張り出してみた。“’1983年2月号”とあるその号を、ついでだからとペラペラとめくっていると、なんとE30型BMW3シリーズとW201型メルセデス・ベンツ190の両車デビューの第一報が載っていた。

そうかぁ」である。手元のCG誌(あ、書いてしまった!)は、巷で“ビーエムとベンツ”がもてはやされるようになるよりも前の号だ。ではその当時は何が人気を集めていたのか? というと、国産スペシャルティカーが当時の若い世代を中心にウケ、全盛期だったころだ。そのなかでも主役級だったのが、2代目ホンダ・プレリュードだった2代目ホンダ・プレリュードのリヤビュー

低くワイドなプロポーションをアピールした

 2代目プレリュードの発表・発売は1982年11月25日のこと。初代は国産車初の電動サンルーフの設定や、2代目スーパー・シビックも採用した集中ターゲットメーターなどのユニークな装備、欧州でも評価されたハンドリングなどでFFスペシャルティカーのジャンルを創出した。2代目は初代の世界観をさらに発展させた“スペシャル・プライベート・カー”として登場した。2代目ホンダ・プレリュードのカタログ

 2450mmのホイールベースは当時の2代目アコードと共通で、初代よりひとまわりゆとりのあるボディサイズへと進化しつつも、1290mmの全高は初代と共通とし、低くワイドなプロポーションをアピールした。とくにダブルウイッシュボーンを採用したノーズの低さは、3代目へも受け継がれたプレリュードの(というより当時のホンダ車の)特徴のひとつで、途中からドアミラーが装着されるようになり、その“低さ”は一層際立つことに。低いノーズの先端にはリトラクタブルヘッドライトを備えた。2代目ホンダ・プレリュードのカタログ

 ボディが薄くガラスエリアが広いデザインは当時のクルマならではで、ハイデッキとダッグテールの組み合わせで、メーカーオプションで後方に向かって突き出させるように装着する軟質ウレタン製のリヤスポイラーも用意された。

後席に人を乗せる際のスマートな気配りのための機

 外観のプロポーションからもわかるとおり、室内空間はガラスエリアが広くピラーが細い、じつにルーミーな仕上がりであるとともに、足を前に投げ出すような姿勢になる相当に低い着座ポジションも特徴だった。デジタル表示のカラード液晶メーターの設定も用意された。ガングリップ型のATシフトレバーも特徴のひとつ。2代目ホンダ・プレリュードのカタログ それと、ドライバーが着座姿勢のままで助手席のシートバックを倒せるように配慮したレバーも備わった。じつは筆者は当時実車には何度も試乗しながら、このレバーの存在の記憶がないのだが、レバー部に前向きの矢印の表示があったはずなのだ。おそらくレバーを持ち上げるとロックが外れてシートバックが前倒しになる(スライドも連動したのかもしれない)仕掛けだったはず。2代目ホンダ・プレリュードのカタログ

 広いとはいえなかったが後席に人を乗せる際のスマートな気配りのための機能だったはずで、決して助手席に人が座っている状態でシートバックを後ろに倒すためのものではなかったと記憶している……。それよりも筆者的には、当時のホンダ車はおしなべてインパネが低かったため、乗り込みの際に“スネ”をぶつけないように足の運びを注意深くやる必要だったことのほうが記憶としては鮮明だ。

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