ル・マン史最多優勝を誇る「耐久王ポルシェ」! 常勝軍団の首尾一貫した「勝利の方程式」とは何か (1/2ページ)

ル・マン史最多優勝を誇る「耐久王ポルシェ」! 常勝軍団の首尾一貫した「勝利の方程式」とは何か

恐るべきポルシェ! ル・マンでも通算19勝を誇る「耐久王」

 車両規定の見直しが図られ、今年からHVプロトに代わってハイパーカーをトップカテゴリーに位置付けたACOとFIAだが、今のところメーカー規模で本格的に取り組んでいるのはトヨタ1社のみの状態である。しかし、来2022年シーズン、あるいはル・マンが100周年を迎える2023年シーズンに向け、参戦計画を公表しているメーカーも少なくない。こうしたなかでも、ル・マン史最多の通算19勝、ル・マン史最長の7連覇を樹立したポルシェは、やはりひときわ注目を集める存在と言ってよいだろう。

スポーツカーブランドの雄たるポルシェは常に先端技術で勝つ 

 現状ポルシェは、今後の主流は完全EV化、そして現在は官能的な内燃機関を使うGTカー(LM-GTE Pro)があり、現在と未来をつなぐ存在として複合動力のハイパーカー(ハイブリッド方式)が中期的にあると位置付けている。なにより、創業以来スポーツカーレースに参戦を続け、規定が変更されるたびに新たな技術をもって臨み、結果としてつねに成功を収めてきたメーカーとしての実績は、別格と言ってよいかもしれない。

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ポルシェはスポーツカー生産メーカーゆえにレース活動は不可欠、そのレース史を最高峰レースに位置付けるル・マン24時間で振り返る画像はこちら ポルシェは、第二次世界大戦後の1948年、オーストリア・グミュントで創業を始めたスポーツカーメーカーだが、手掛ける車両が性能重視のスポーツカーであることから、サーキットレースは必要不可欠、生産車両とは表裏一体の関係にあると捉え、ル・マン24時間を頂点とするスポーツカーレースに、積極的に取り組む姿勢を見せてきた。言い換えれば、新技術への挑戦、開発、習得に対して非常に貪欲なメーカー、ということもできるだろう。

 創業から4年目となる1951年にポルシェ356でル・マンに初参戦。特筆すべきは、初挑戦ながら総合20位で完走、クラス優勝(751〜1100cc)を勝ち取っていたことだ。ポルシェはスポーツカー生産メーカーゆえにレース活動は不可欠、そのレース史を最高峰レースに位置付けるル・マン24時間で振り返る画像はこちら もっとも、ポルシェブランドの実績は、戦前のフェルディナント・ポルシェの時代から非常に高く、当時から最先端工業技術を誇るドイツ企業のなかにあっても、ひと際傑出した存在として認知されていた。それだけに、戦後、フェリー・ポルシェが起業したスポーツカーメーカー「ポルシェ」も、高性能かつ高信頼性の製品だったのは当然と言えるものだった。

 そのポルシェ、新たな時代を迎えて抜本的な技術革新を試みた。1964年にリリースした911シリーズである。901型水平対向6気筒エンジンを新たに開発。このエンジンを基本にレースプロジェクトも進展した。

 1966年、純レーシングカーであるグループ4レーシングスポーツの906を開発。活動範囲は2Lクラスと限定的だったが、高性能、高信頼性、扱いやすさを備えていたことから耐久レースで好成績を挙げ、しばしば格上の大排気量車に先着したことで、ジャイアントキラーの異名をもって周囲から恐れられる存在に成長。そして、続く910への発展が、この印象をよりいっそう強めていた。ポルシェはスポーツカー生産メーカーゆえにレース活動は不可欠、そのレース史を最高峰レースに位置付けるル・マン24時間で振り返る画像はこちら

 一方、北米市場で911シリーズが大成功し、ポルシェ社の規模は一気に拡充。これに合わせてレースプロジェクトも2Lクラスからの脱却を図り、2.2Lの907、さらに水平対向8気筒の3Lグループ6プロト908、そして4.5L(のちに5L)水平対向12気筒のグループ4スポーツ917へと、短時間のうちに急テンポで発展した。そして、1970年のル・マンで念願の初優勝、続く1971年のル・マンで2連覇を達成する成功を見せた。1971年ル・マン優勝グループ4スポーツ917画像はこちら 余談だが、ル・マンを含むマニファクチャラーズ選手権は、917があまりに強すぎたことが災いし、1972年から車両規定を3Lグループ6プロトに1本化する変更が行われた。要するに、917を使えないようにしたわけである。

北米レースでターボ技術を磨き上げ

 結果的に、スポーツカーレースでの行き場を失うことになったポルシェだが、当時、ポルシェの大きな市場だった北米大陸のレースに着目。排気量無制限、オープン2シーターのグループ7カーを使うCAN-AMシリーズへの本格参入を決定した。それまでも917PA(ポルシェ/アウディ=スパイダー)を開発し、現地ディーラーの支援で参戦活動を続けていた。だが、ヨーロッパでは大排気量の5リッターエンジンも、最大級で8.4LアメリカンV8を搭載するマシンが常態化していたCAN-AMラウンドでは、いささか小排気量、非力な存在だった。

 ポルシェはこの排気量ハンディを補う手段として、ターボチャージャーの実用化を試みた。レーシングカーのターボチャージャーは、スロットル開度が定常的なオーバルトラックを走るインディフォーミュラではすでに採用されていたが、CAN-AMシリーズが使う一般的なロードサーキットでは、過給のタイムラグが大きく、実用化に際して解決すべき問題が山積していた。5.4リッターターボの917/30画像はこちら 5Lターボの917/10(1972年)、5.4Lターボの917/30(1973年)で臨んだCAN-AM参戦活動は、主戦場の北米大陸と開発機関のある本拠地西ドイツのバイザッハ間で頻繁に情報、技術のやりとりを繰り返しながら、最終的にはアメリカンV8を完全に駆逐する1100psレベルに成長し、2年連続で同シリーズのタイトル獲得に成功。近視眼的に見れば、シリーズチャンピオンの獲得だったが、大局的に見れば、レーシングターボ実用化の成果がなにより大きな収穫だった。

 ポルシェは、CAN-AMシリーズで得たターボテクノロジーを市販車に応用。911ターボ(930)というかたちで具現化した。

 これをベースにグループ4の934、さらにこれを発展させたグループ5の935を企画。そしてエンジンテクノロジーを継承したグループ6プロトの936を作り上げ、1976年、1977年、1979年のル・マンを制覇。

グループ6プロトのポルシェ936画像はこちら グループ5の935は、FIAが新たに意図したマニファクチャラーズ選手権の規定を挫折させる強さを発揮。いくつかのメーカー参戦を期待したグループ5規定だったが、ポルシェがあまりに強すぎ他メーカーが尻込み。グループ5の935画像はこちら せっかくの新規定も競合車が登場せず、マニファクチャラーズ選手権は元のグループ6に戻されることになったが、ここでもまた圧倒的な強さを発揮したのがポルシェ、936だった。