2ドアスペシャルティカー市場に颯爽と登場 した
S13シルビアというと、車名を聞いた瞬間、筆者の脳内にはプロ コル・ハルムの「青い影」がループで流れる。というか、 この原稿を書いているiMacのなかの「ミュージック」アプリで実 際に小音量(深夜なので)で流しているところなのだが、S13シ ルビアのデビュー時をご記憶の方なら、1988年の登場から199 1年にマイナーチェンジがあるまでの間、TV CMでずっと「青 い影」が使われていたことをご存知だろう。
とりわけ海岸の波打ち 際をゆったりと走るシルビアを追いかけた映像との組み合わせは印 象深く、当時、思わず引き込まれながら“観賞”したものだ。
プレリュードとはまったく違うアプ ローチで誕生
ART FORCE SILVIA……。そんなキャッチと、カタログにもある”時代は 、次のクルマを待っていた。” の、静かだがじつは挑戦的なフレーズ を伴って通算5世代目となるS13シルビアが登場したのは1988年5月。この前年の1987年4月に、ホンダ・プレリュードが大 人気を博した2代目から3代目にフルモデルチェンジしており、当 時まさに華やかだった2ドアスペシャルティカー市場に颯爽と登場 したのがS13シルビアだった。 とはいえ、今ならばライバル車と見まごうばかりに姿カタチを近づ けたクルマで打って出ることは決して珍しいことではないところだ が、S13シルビアは毅然と、プレリュードとはまったく違うアプ ローチで登場した。もちろんそれは、前モデル(S12)が、まさ にリトラクタブルヘッドライトで武装してまで2代目プレリュード の牙城を崩すべく登場するも、力がおよばなかった同じ轍は踏まぬよう ……の意志あってのことだったろう。
個性的な意欲作が目白押しだった日産車
ちなみにS13シルビアがデビューした1988年とその前後は、日 産車は今から見ても個性的な意欲作が目白押しだった。くだけて言 うと、出るクルマ、出るクルマ、どれもイケイケだった。 ざっと振り返ると1987年はBe-1、セドリック&グロリア・ シーマ(初代)、ブルーバード(“アテーサ”が登場した8代目・ U12型)1988年はセフィーロ(初代)、マキシマ(3代目)、1989年になるとパオ、ローレル(6代目)、スカイライン& 同GT−R(R32)、フェアレディZ(Z32)、 インフィニティQ45といった具合。その流れのなかで1988年登場のシルビア(180SXも同年)もまた、S12からの 大胆なイメージチェンジが図られての登場だった。 当時の広報資料を見ると、開発コンセプトは“若い男女(ふたり) のカーライフをお洒落に演出するセンスがよく、走りが楽しい2ド アスタイリッシュクーペ”とある。(笑)などと付けたら真面目に 記事を書け! とお叱りを受けそうだが、少々、 甘々なフレーズながら、当時の20歳代のユーザーをターゲットに した打ち出しはこうだった。
スタイリングは今見ても惚れ惚れさせられる美しさ
とくにスタイリングの美しさには惚れ惚れさせられた。当時として は十分にグラマラスだったが決して肥大ではなく面はスリークで、 ボディサイドのキャラクターラインも細く浅くデリケートな入れ方 。やや起こしたCピラーと3次曲面のリヤウインドウも、スタイリン グ上のアクセントだった。イメージカラーのライムグリーンツート ン、ウォームホワイトツートンといった大人びたボディカラーもスタイリングを引き立てていた。 それと、量産車では世界初だったハイ/ロー4灯式のプロジェクタ ーヘッドライトの採用も話題だった。当時、筆者は首都高・ 霞が関トンネルのなかでこのヘッドライトの“光”が追従してくるの を別のクルマを運転しながらインナーミラー越しに見た。構造上シェードで光がカットされる境目あたりの、7色のスペクト ラムが凸レンズを通してチラチラと見えるのが、じつに新鮮だったのを 思い出す。 外観はモデルライフを通して基本的に変更はなく、途中のマイナー チェンジでアルミホイールのデザインが新しくなったことと、 パッケージオプションのリヤスポイラー形状が、トランクリッド直 付けから、ウイング状に変わった程度だった。