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世界にたった7台しか存在しない幻のGT-R!「HKS」が作った究極のR32「ZERO-R」とは

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TEXT: GT-Rマガジン編集部  PHOTO: GT-Rマガジン編集部

究極のロードゴーイングカー「ZERO-R」を振り返る

 R32スカイラインGT-Rの誕生によって、チューニング業界が活性化し、大きな進歩を遂げたと言われている。現在もそのチューニング業界の牽引役と言える『HKS』がBNR32をベースにコンプリートカーを製作したのは今から28年前の話だ。

「ZERO-R」と名付けられた究極のロードゴーイングカー。今振り返ればそれはあまりにも時代を先取りしていたのである。

初出:GT-Rマガジン161号

ZERO-Rの企画開始はR32誕生のわずか4カ月後!

 平成5(1993)年12月。『HKS』が手掛けるコンプリートカー「ZERO-R」が正式発売された。チューニング雑誌の企画のひとつとして計画が立ち上がったのは、1989年末のことである。つまりBNR32が誕生して4カ月後、すでに水面下ではZERO-Rの卵ができあがっていたことになる。

 資料によれば1990年の3月ごろからエアロパーツの開発やテストが始まり、同時にタービンやエンジンの開発も進行。1991年の東京オートサロンでその姿は披露された。当時すでにコンプリートカーという概念はあり、日本初でも、もちろん世界初でもない。しかし、ZERO-Rは知れば知るほどすごいクルマだと感じるはずだ。

HKS ZERO-Rのリヤビュー

まるでR35GT-Rのようなコンセプトを掲げた

 まずコンセプトから驚きだ。カタログには「インターナショナルスペックマシン」という言葉が踊る。また「夢を現実に、世界レベルの活動。」ともある。無理なく250km/hで巡行し、なおかつ快適に走る。サーキットでの速さも忘れてはいない。実際、ドイツまで開発車両を持ち込み、ZERO-Rはアウトバーンを走り、ニュルブルクリンクを駆け抜け、そしてドイツのフランクフルトからスペインのバルセロナまで2000kmを走破してみせた。1990年代初め、HKSはすでに世界を視野に入れていたのだ。さらに、未登録車両に改造を施した新車として車検3年付きでの販売。わずか数台の限定ではあるが、当時のチューニングカーとはまったく別次元である。

 ZERO-Rのコンセプトは15年以上もあとに登場するR35GT-Rのそれを思わせる。さらに言えば、R34登場の遙か前であるにも関わらず、フラットボトム化されている。まるでGT-Rの未来を予言するかのような1台。今思えば「生まれるのが早過ぎた」クルマかもしれない。

HKS ZERO-Rのフロント

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