不恰好なのに超速い!「空飛ぶレンガ」の異名を持つ「武闘派ボルボ」衝撃の歴史 (1/2ページ)

不恰好なのに超速い!「空飛ぶレンガ」の異名を持つ「武闘派ボルボ」衝撃の歴史

この記事をまとめると

  • ボルボの誇る「安全性」はモータースポーツとともに進化してきた
  • 1950年代からラリーで活躍し、80年代は「空飛ぶレンガ」が有名に
  • 現在もレース部門は「シアン・レーシング」として積極的に活動中

「セーフティ&エコ」な先進技術のバックボーンにはモータースポーツ

 カシミアのニットを羽織ったマダムが、テイクアウトしたコーヒーを助手席ですすっていそう。そんなクリーンかつスマートで、電動化に前のめりな自動車メーカーとして頭角を現しつつある「ボルボ」。ところが昔からモータースポーツ界では、バリバリに泥臭いまで武闘派だったことはご存じだろうか?

1950年代からラリー界で暴れまくり

 ボルボがモータースポーツで初めて活躍したのは1958年、スウェーデンはイエテボリの自動車工だったグンナー・アンデルソンが、当時アメリカ輸出用だった85ps仕様のボルボ「PV444」でスウェディッシュ・ラリーを制したことに始まる。彼は瞬く間に欧州ラリー選手権とスウェーデンのツーリングカー選手権のチャンピオンになり、グラン・プリモ・アルゼンティーナ(アルゼンチン・ラリーの前身)など国際レースでも勝利を重ねた。

 余談だがアンデルソンは、1961年にはフェラーリ250GTで公道レースとして最終開催となったミッレミリアでも優勝。1962年には欧州ラリー選手権をボルボ・アマゾンで再び制するなど、この時期、脂ののったドライバーだった。

1958年にアンデルソンが乗ったPV444

 PV444の後には「PV544」や「アマゾン」が続いたが、ボルボならではのボディの頑丈さとエンジンの耐久性を目いっぱい活用して、フィニッシュラインまで必ず辿り着くのがその手腕だった。その後もボルボはPV544やアマゾンでサファリ、アクロポリスといった過酷なラリーを制し続けた。

サファリラリーで活躍したPV544

 ボルボに請われモータースポーツ部門を率いる立場となったアンデルソンは、1970年代にも決定的な仕事を成し遂げた。当時ボルボが買収したオランダの自動車メーカー、DAFとの共同モデル「343」で、欧州ラリークロス選手権に殴り込んだのだ。

 343は小型のハッチバックでありながら、フロントエンジン・リヤ駆動(FR)を採用。しかもCVTトランスミッションを後車軸寄りに積むことで重量配分を最適化し、競技仕様は1.6Lターボのエンジンから245psを絞り出していたという。

 コンパクトなFRホットハッチにターボパワーという組み合わせは、欧州ラリークロス選手権を10年以上の長きにわたって支配し続けた。またこの時期にアンデルソンが作り出した「ボルボR-チーム」が、今日の「R-デザイン」の由来そのものといわれる。

1979年のボルボ343

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