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懐かしの「マッチのマーチ」! 体育会系仕様から女の子向けまで個性派揃い「日産マーチ」の足跡

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TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎 七生人

個性派モデルをピックアップ

 初代日産マーチ(K10型)の登場は1982年10月。前年の東京モーターショーに「NX・018」名義で展示され、車名はいわば遠い先代の「サニー」と同様、公募→審査により決定した(審査員は官庁エコノミストの大来佐武郎を委員長に、森 英恵、岡本太郎、竹村健一、中村紘子、黒川紀章、石原裕次郎、松坂慶子、加山雄三、王 貞治と10名の錚錚たる顔ぶれ)。

 ちなみに応募総数は565万1318通、応募車名種類は26万6458通、応募車名ベスト10は1位のポニー以下、フレンド、ラブリー、シャトル、スニーカー、レインボー、イーグル、パートナー、コメット、ピープル。マーチは応募車名の順位では164位だったという。発売後のキャラクターがマッチこと近藤真彦だったのは有名だが、彼の愛称にちなんだ、今でいうオヤジギャグ的な「マッチのマーチ」や「マーチが街にやってきた。」のコピーも有名だ。

軽量なエンジンもトピックスの一つだった

 クルマの技術的なトピックも多かった。代表的なのは専用に開発されたMA10型・1Lエンジンで、シリンダーブロックなどにアルミダイカスト(=当時の広報資料の表記)を採用し、69kg(整備重量・AT仕様)と軽量に仕上げられていた。

 一方でスタイリングは、不勉強にも筆者はいつ公のものになったのか知らなかったが、後年、日産関連の資料で“G・ジウジアーロ”と正式に記されているのを見つけて驚いた次第。記憶が正しければ、登場時にそのことは明言されていなかったはずだが、初代マーチと同世代のフィアット・ウーノと並べれば一目瞭然ではあった。ところで今回は、そんな初代に始まり現在まで4世代続いている歴代マーチのなかから、個性派モデルをピックアップしてみたい。

初代マーチターボは走りに振った高性能モデルだった

 まず1台目に挙げるのは、初代(K10型)のマイナーチェンジ時(1985年2月)に登場したターボだ。プラズマMA10ET型と呼ばれた、日本初の1000ccの4気筒+マイクロコンピュータによる燃料供給と小型ターボチャージャーを組み合わせて、85ps(グロス)/12.0kg-mの性能を発揮。

 60タイヤを装着した足まわりや、丸型フォグランプを装着した外観、デジタル+アナログのハイブリッドメーターを備える内装などを専用とした。ターボはその後マイナーチェンジを経て、1989年1月にスーパーターボに進化。こちらは競技ベース車のRをもとに、排気量を930cc(初代は987cc)に落とした上で、スーパーチャージャー+ターボの凝った仕様が与えられたモデルだった。日産マーチターボ

 ちなみにあとにも先にも、マーチでいわゆる走りに振った高性能モデルの設定は初代のターボ系のみ。ただし、オーテック、ニスモがチューンを手がけたモデルは、これまでにも存在している。たとえば(ここで話が一気に現行の4代目に飛ぶのだが)、2016年にオーテック創立30周年を記念して作られたマーチボレロA30は、代表的なクルマだ。オーテックA30ボレロ

 このクルマは何と30台限定という超希少車だったが、エンジンチューン、90mmのワイドトレッド化と専用のワイドボディ、シートをはじめとした専用内装で仕上げられていた。詳しくは省くが、ハンドメイドで手間のかけられたチューン内容を聞けば330万円(税抜き・当時)は破格に思えたもの。じつは筆者もこの貴重な現車の取材・試乗のチャンスを得て(写真はその時に撮影したもの)、まるで欧州高性能車のような剛性感に溢れたボディと胸のすくファンな走りに感動を覚えたものだ。オーテックA30ボレロのエンジン

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