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世界を席巻した「セリカGT-FOUR」! スバル、三菱を下してWRCを制覇した「トヨタ・チーム・ヨーロッパ」栄光の軌跡

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: トヨタ/原田 了

TGRの歴史を遡っていくとTTEにたどり着く

 参戦カテゴリーが変わるたびに組織が変更されることも多く、今ではまったく違ったネーミングとなったために、とくに近年になってモータースポーツに興味を持つようになった若いファンには馴染みのない名前かもしれませんが、トヨタが1970年代に海外ラリーを戦うようになった時に、ラリーストとして活躍していたオベ・アンダーソンをパートナーとして選び、設立したチームがトヨタ・チーム・ヨーロッパ(Toyota Team Europe=TTE)でした。現在、トヨタのモータースポーツを統括するガズーレーシング(GAZOO Racing)の欧州における橋頭保となっているTOYOTA GAZOO Racing Europe GmbH(トヨタ・ガズー・レーシング・ヨーロッパ)の源流となったTTEの歴史を振り返ってみることにしましょう。

 

トップラリーストだったアンダーソンとジョイント

 トヨタが初めて海外ラリーに挑戦したのは1960年のこと。オーストラリア一周ラリーがその舞台となりました。しかし、本格的なラリーに挑戦を始めたのは60年代後半になってからでした。1968年と1969年のモンテカルロ・ラリーで現地サポートを行ったのを皮切りに、70年にはマークⅡ1900GSSでワークス体制で臨んでいます。ただ、それまでのように参戦の度に日本から、クルマとパーツ、サービススタッフが移動するのは効率的ではないとの判断から、72年には体制を一新することになりました。

 当時からトップラリーストとして知られていたオベ・アンダーソンのチームを運営するアンダーソン・モータースポーツ社と契約しチーム・トヨタ・アンダーソンを設立したのです。チームは世界ラリー選手権(WRC)開幕前夜ともいえる同年のRACラリーにノーマルに近いセリカ1600GT(TA22)で参戦、総合9位/クラス優勝を飾って栄光の歴史がスタートしています。アンダーソン駆るセリカ1600GT(TA22)

 そして1975年にはチーム名がTTEに代わり、競技車両も同じグループ4仕様ながらセリカからより軽量コンパクトなレビン(TE27)に代わって戦闘力アップ。ビョルン・ワルデガルドらと契約し、トップコンテンダーに名乗りを挙げることになりました。

 実際に同年の1000湖ラリーでは新加入のハンヌ・ミッコラが熾烈なトップ争いの末に優勝を飾っています。これはTTEとしての初優勝であると同時に、トヨタとしてもWRCのヨーロッパラウンドにおける初優勝となりました。トヨタセリカ2000 GT

 ここからTTEは毎シーズンのようにラリーカーの競争力を高めていきます。1976年の主戦マシンは2Lエンジンを搭載するセリカ(RA20)にコンバートされましたが、ツインカムヘッドはスポーツオプションの16バルブ仕様が組み込まれた18R-G改となっていました。1978年には16バルブヘッドの公認が切れ8バルブの18R-Gに載せ代えられましたが、その一方で、1980年には新世代のRA40セリカがデビューを果たしています。1982年には車両規定が変更されグループBとグループ4の混走となり、RA40セリカに代わってニュージーランドでは新型、RA63セリカがデビューしています。

トヨタセリカツインカムターボ 翌1983年からはグループBカーが主役となりましたが、とくに悪路の走破性に優れた4輪駆動(4WD)マシンが優位に立つケースが増えてきました。そこでトヨタでは4WD機構を組み込んだグループBマシンを企画しますが、グループBからさらに特化したグループSへの車両規則移行が考えられるようになり、そのプロジェクトを進めているうちに、今度はグループBが速くなりすぎてアクシデントが連発。一転して1987年からはグループBに代わってグループAによって世界選手権タイトルが争われることになりました。グループSプロトタイプ トヨタ222D 

 しかし4WDシステムが組み込まれたベースモデルを持ち合わせていなかったトヨタでは、新たにデビューしたセリカGT-FOUR(ST165)をグループAマシンへと開発を進め、その間のショートリリーフとして3Lのスープラ3000GTでグループA車両を作り出すことになりました。スープラ3000GT

 セリカ(RA63)時代から得意としていたアフリカ・ラウンドでは1987年のサファリで3位、1988年のサファリで4~5位、1989年のサファリでも4~5位と健闘しました。しかし流れは確実に4WD優位の時代に入っていて、ST165のデビューが待ち望まれていました。

4WDセリカの投入でコンテンダーの名乗りを挙げ、タイトルも手中に

 待ち望まれていた4WDセリカが実戦デビューを果たしたのは1988年のツール・ド・コルス。265psを捻り出す2L直4ツインカムターボの3S-GTEエンジンと、すでにラリーでは必須となっていた4WDシステムが組み込まれたセリカGT-FOUR(ST165)は、WRCのデビュー戦で6位入賞を飾り、ヨーロッパ選手権のキプロス・ラリーではワルデガルドが優勝を飾っています。セリカGT-FOUR(ST165)

 1990年にTTEは、全12戦のうち半分の6戦で優勝し、うち4勝を挙げたTTEのエース、カルロス・サインツが日本車を駆るドライバーとしては初となるドライバーチャンピオンに輝いています。翌1991年、サインツはランチアのエース、ユハ・カンクネンと5勝ずつを分け合いますが、最終戦までもつれたチャンピオン争いではカンクネンが逃げ切りタイトルをさらっていきました。

 続く1992年は再びサインツとカンクネンが激しく争いましたが、4勝を挙げたサインツが2度目のドライバーチャンピオンを獲得しています。ちなみに、この年にはトヨタのラリー史上最強マシンとして知られるST185型セリカGT-FOURがデビューしていました。セリカGT-FOUR(ST185)

 こうして迎えた1993年シーズンは、最強のライバルでグループAの王座に君臨していたランチアからカンクネンが移籍加入、体制を強化して開幕しています。開幕戦のモンテカルロ・ラリーでディディエ・オリオールが勝つと、続く第2戦のスウェディッシュでは地元のスペシャリストでセミワークス待遇のマッツ・ヨンソンが続きます。ポルトガルではフォードのフランソワ・デルクールが勝利しますが、第4戦のサファリではカンクネンとマルク・アレンの新旧エースが1-2を分け合い、サファリ・スペシャリストのイアン・ダンカンが続いてトップ3を独占しています。

 その後も第7戦のアルゼンチン、第9戦の1000湖、第10戦のオーストラリア、そして最終戦のRACと都合5勝を挙げたカンクネンが4度目のドライバーズチャンピオンに輝くとともに、トヨタも悲願だったマニュファクチャラーズタイトルを獲得。見事ダブルタイトルに輝くことになりました。翌1994年もオリオールがフランス人初のドライバーズチャンピオンに輝くとともにトヨタもマニュファクチャラーズタイトルを連覇、2年連続で二冠を達成しています。

2年の参戦休止を経てカローラWRCでWRCに復帰

 その1994年にはST185の次期モデルとしてST205がデビューしていますが、こちらの熟成には時間がかかり、またレギュレーション違反もあって1996年と1997年の2年間、トヨタはWRC活動を休止(1996年はFIAによる出場停止、1997年は自主的な休止)することになりました。セリカGT-FOUR(ST205)

 が、その間にワールド・ラリー・カー(WRカー)既定の競技車両開発に専念。カローラWRCは1997年のフィンランド・ラリーでテスト参戦を果たしオリオールが8位で完走し、ポテンシャルの一端を示した後、1998年にはWRCにフル参戦で復帰を果たしています。カローラWRカー

 シーズン開幕戦のモンテカルロでは早くもサインツが優勝を飾り上々の滑り出しを見せましたが、三菱のエース、トミ・マキネンが第2戦のスウェディッシュでを制して巻き返します。その後はスバルのコリン・マクレーも加わり、日本車メーカー3社のエースが、三つ巴のチャンピオン争いを繰り広げました。

 3人は全13戦のうち10戦で優勝を分け合うことになりましたが、終盤に3連勝を飾ったマキネンをトップにサインツ、マクレーのオーダーでチャンピオン争いは最終戦までもつれ込んでしまいました。しかし最終戦となったRACではランキングのトップ3がそろってリタイア、マキネンがチャンピオンに輝いています。

 翌1999年は三菱のマキネンがドライバータイトルを手にしたもののトヨタはマニュファクチャラーズタイトルを獲得。これを手土産にトヨタは翌2000年からF1GP参戦を開始し、TTEによるラリー活動は休止しています。

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