バカッ速チューニングの元祖! アメ車文化の「ホットロッド」って何? (1/2ページ)

バカッ速チューニングの元祖! アメ車文化の「ホットロッド」って何?

ハリウッド映画でよく見かける「ホットロッド」のカルチャーとは

 アメリカの自動車文化を語る上で欠かせないキーワードが「ホットロッド(HOT ROD)」だろう。ところが言葉は知っていてもその定義や歴史を知っている人は少ないはず。そこで「そもそもホットロッドって何?」を深掘りしてみよう。

独り歩きしている「ホットロッド」という言葉

 自動車好きなら「ホットロッド」という言葉自体は聞いたことがある人も多いはず。多くの人は漠然と「アメリカのカスタムカーのジャンルのひとつ」という認識はあるものの、具体的に説明できる人はほとんどいないだろう。

 身近なところでは、横浜の「ムーンアイズ(MOONEYES)」が主催し、毎年末に開催される「横浜ホットロッドカスタムショー」というイベントがある。ところが「ホットロッド」と名前が付いているものの、現在では多くのジャンルのカスタム車両が集まり、どの車両がホットロッドなのかがよく判らないというのが現状だ。

 そこで今回はホットロッドのルーツをひも解いてみるとともに、その後の歴史や現在を調べてみることにしよう。もちろん諸説あり、ひとつには絞れないが、歴史を調べてみることで、アメリカの自動車文化の奥深さも知ることができるはずだ。

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MOONEYESが開催している横浜ホットロッドカスタムショー画像はこちら

ホットロッドの誕生は1930年代後半の南カリフォルニア

「ホットロッド」という単語が登場するのは、1930年代後半の南カリフォルニアであるというのが通説だ。市販車をベースに速く走るための改造を施した車両でスピードを競ったのがルーツ。より軽量な「ロードスター」(オープンカーのこと)をベースに改造した車両「ホット・ロードスター(HOT ROADSTER)」が語源であるという説や、ライバルより速く走るために高回転になったエンジン内部の「コネクティングロッド」が焼けるように熱くなるという表現から「HOT ROD」という言葉が生まれたという説などが有力だ。

 発生当時はある程度裕福な自動車好きが主体であった「ホットロッド」文化は、第二次世界大戦後に大きく変化を遂げる。戦地から引き上げてきた復員兵たちが、すでに10年近く型落ちとなり安価で入手しやすかった1930年代のフォードなどの車両をベースに、軽量化のためフェンダーなどを外し、最新のエンジンを搭載した改造車を作りスピードを競うようになる。

 軍隊経験で航空機技術などを取得していた彼らのなかには、速く走るためのパーツを作り出す者も出現し、街なかで1/4マイルをいかに早く駆け抜けるかを競うイリーガルな「ドラッグレース」も行われるようになった。さらにスピードが100マイル(160km/h)に到達すると、より平坦な砂漠地帯の塩湖の湖面を利用して、レースを行うようになっていく。

大戦直後の1946年に行われたホットロッドのレース画像はこちら

厳しい取り締まりを避けストリートからレース場へ

 ホットロッドのカルチャーは、徐々にそのレベルが上がっていくとともに、街なかでのレースは危険な行為として厳しく取り締まられるようになる。ところがここでカルチャーが潰えてしまわないのがアメリカの自動車大国たる所以だ。

 まずは1937年、塩湖で最高速を競うスピードトライアルは、「SCTA(Southern California Timing Association)」という競技組織が発足し、地元のカークラブを中心に活動を開始。戦後すぐにレギュレーションなどが細かく定められ、レース競技へと昇華していく。

 一方1/4マイルをスピードを競うストリートでのイリーガルなドラッグレースも、1951年に「NHRA(National Hot Rod Association)」が発足。全米でドラッグレースがモータースポーツとして合法的に存続することとなったのだ。これによってホットロッドは市民権を得て、より広い世代に知られるようになるとともに、アメリカの自動車文化を語る上で欠かすことのできない要素となっていく。

ドラッグレースを合法的に行うNHRAが発足画像はこちら