クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB

クルマを文化する
REAL CAR CULTURE

AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)

  • TOP
  • CLASSIC
  • 日本最上級の乗用車はセンチュリーとプレジデントで異論なし! 消滅と存続の明暗をわけた2台の中身
CLASSIC
share:

日本最上級の乗用車はセンチュリーとプレジデントで異論なし! 消滅と存続の明暗をわけた2台の中身

投稿日:

TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎 七生人

企業風土の違いも象徴的に表わす2車

 もちろん生まれながらにして超一流の(!?)庶民かつ、ただの平民で、内閣総理大臣でもなければ大企業の会長職に就いている訳でもない筆者など、公私ともに縁もゆかりもまったくないが、日本の乗用車の最高峰として君臨してきた2大VIPカーと言えば、トヨタ・センチュリーと日産・プレジデントだ。

 かつては東京モーターショーで配られるパンフレットでは、それぞれ市販車の紹介ページのトップに載っているのがお約束。また最近では一概にそうとも言えなくなってはきたが、市販の自動車ガイドブックなら、トヨタであればまずセンチュリー、日産ならプレジデントが登場。以降、クラウン、セドリック/グロリア(別格のトヨタ2000GTやスポーツカーのフェアレディZが次に来る場合もあった)から始まって、順に小さなクルマに向かっていく流れが“台割り”の定番だった。

 SUVやミニバンが主流の今は事情が異なるとはいえ、最近の各出版社系のムックでは、カテゴリー別になっていることも多く昔のしきたりは通用しないから、お目当てクルマのページになかなか辿り着かないことがときどきある(というのは頭の固い筆者の独り言だが……)。

センチュリーが採用したほかのトヨタ車とは異なる“作風”

 センチュリーは初代が1967年に登場。そこから30年経った1997年に2代目にバトンタッチし、さらに20年経った2018年、現在のモデルを登場させた。計算するまでもないが、2022年の今年までの55年間でわずか3世代とは、さすが別格のクルマというほかない。車名のセンチュリーはトヨタの創設者、豊田佐吉生誕100年だったことに由来、フロントグリルのシンボルマークは宇治平等院の鳳凰をモチーフとしたものだ。トヨタ・センチュリー

 とくに印象深かった初代のスタイリングは当時の他のトヨタ車とも異なる“作風”で、小学校高学年だったがカーマニアをやっていた筆者は、子供心に「古風なだけじゃない、新しさも適度に盛り込みつ威厳もあり、実に上品なカタチだよね」と思ったものである。トヨタ・センチュリー

 手元にある当時のカタログ(1973年ごろ)を当たると、搭載エンジンはV8の3.4L、4V-U型。当時の排気ガス浄化システムのTTC-C(トヨタ触媒方式)などを採用し、170ps/26.5kg−mの性能を持っていた。ボディサイズは全長4980mm×全幅1890mm×全高1460mm、ホイールベースは2860mm(=クラウンエイト)、車両重量は1875〜1825kgとまさに威風堂々としたもの。標準タイヤが7.35-14-6PRと非ラジアルだったのも時代を物語る。乗車定員が6名を基本とし、前席がセパレートのオーナーカー向け仕様も用意された。トヨタ・センチュリー

 初代は1982年にもマイナーチェンジを受け、外観の小変更、サスペンションの改良(フロントはストラット式へ)などを受けた。また1989年には室内長を650mm延ばしたリムジンを追加。このクルマは後部ドアは前後に150mm大きく、サイドシル部分が40mm下げられていた。トヨタ・センチュリー

12

 

 

 

 

 

 

ranking

RECOMMEND

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

 

 

 

 

 

 

MEDIA CONTENTS

WEB CONTENTS

ranking

AMW SPECIAL CONTENTS