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「広島ベンツ」には「ENKA(演歌)ボタン」まで付いていた! かつてのマツダのトップモデル「ルーチェ」はやっぱり面白い

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TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎 七生人

モデルごとにキャラクターが違ったルーチェ

 かつてマツダには、ルーチェ(イタリア語の光、輝き)という車名のセダンがあった。「おぉ!」と反応するのはオジサン世代だと思うが、どういうクルマだったかというと、もともとは現在のセダンのフラッグシップであるマツダ6のルーツにあたる初代カペラ(1970年)の登場よりも前から、マツダのトップモデルとしてあったクルマである。

ベルトーネデザインの初代ルーチェ

 初代の登場・発売は1966年のこと。初出は前年の東京モーターショーだった。ただし、じつはそのさらにその2年前1963年のショーで“ルーチェ1000/1500”として登場している。ところが2年後の1965年のショーでは、全長×全幅×全高・ホイールベース=4370×1630×1410mm・2500mmと、1963年のショーに登場したモデル(同=3960×1480×1385mm・2305mm)よりも格段にサイズアップして登場。しかもスタイリング自体もまったく異なるものだった。ちなみにどちらもデザインはベルトーネが手がけたものだったそうだが、量産型のほうは、当時ベルトーネに在籍していたジョルジェット・ジウジアーロが手がけたことで有名だ。

 高速ツーリングを見据えた新設計の1.5Lエンジンで連続走行150km/hを可能にし、6名乗車の広い室内も実現。初代ルーチェは、そういう訳で欧州市場へも進出し、フィンランドやフランスにも初輸出された。

 ちなみにカタログ写真は1967年に追加設定されたスポーティグレード“SS”のもの。ダウンドラフトのツインキャブを採用し86ps/12.0kg−mの性能を誇る、4“段”フロアシフト採用の5シーターモデルだ。何を隠そう筆者の小学校5〜6年のとき、担任の先生がまさしくシルバーのこのSSに乗っていて、冬休みに箱根へスケートに連れていってもらったことは今でもよく覚えている。もちろんインドア派の筆者の目的はスケートではなく、ルーチェSSに乗せてもらうことだった。マツダ・ルーチェ

 また1969年にはルーチェ・ロータリークーペが登場しているが、RE専用車でFFとメカニズムがまったく異なり、デザインもマツダの内製だったという。

アメリカナイズされた雰囲気が打ち出された2代目マツダ・ルーチェ

 一方で1972年になるとルーチェは初のモデルチェンジを迎え、2代目に進化。このモデルでは、時代の要請に応え、公害対策車量産第1号となった“ルーチェAP(Anti Pollution)”として登場した。搭載エンジンはそれまでに輸出実績を積んだロータリーエンジンを国内向けに適合させたものマツダ・ルーチェ

 573cc×2ローターで、130ps、120psおよび125ps、115psの4タイプの設定があった。セピア調(!?)の写真は当時のカタログをコピーしたもので、フロントグリルにREのバッジが見える。ご覧のとおりスタイリングは初代のヨーロッパ調とは打って変わって、アメリカナイズされた雰囲気が打ち出された。ほかにガソリンの1.8Lも追加設定。この世代ではワゴンも用意されている。

マツダ車初の4ドアピラードハードトップを設定した3代目

 さらに1977年になると、3代目が登場。車名は当初はルーチェ・レガートだったが、翌年には大人の事情でルーチェに変更された。マツダ・ルーチェ

 この世代ではセダンのほかにマツダ車初の4ドアピラードハードトップを新設定。当初は縦型4灯のヘッドライトがかなり印象的だったが、のちに一般的な(メルセデス・ベンツ風の?)フロントデザインにあらためられた。マツダ・ルーチェ

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