日産でレースいえばスカイラインGT-R! でもラリーの「フェアレディZ」も忘れちゃダメ (1/2ページ)

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日産でレースいえばスカイラインGT-R! でもラリーの「フェアレディZ」も忘れちゃダメ

この記事をまとめると

  • 日産を代表するスポーツカー「フェアレディZ」
  • モータースポーツでも活躍し数多くの勝利を挙げた
  • 今回はZ31型にスポットを当てて紹介

フェアレディZもラリーやレースを戦っていた

 この間、フェアレディZと言えば、じつは参戦できるレースカテゴリーがなかった。スカイラインGT-Rの陰に隠れる存在に回り、若い層のモータースポーツファンには馴染みのないモデルとなっていたが、その歴史を振り返ると、レース、ラリーで獅子奮迅の活躍を残してきたモデルであることは明らかである。

 今回は、ラリーフィールドで活躍したフェアレディZを紹介しようと思うのだが、フェアレディによるラリー活動は思いのほか古く、国際的には1960年代のモンテカルロラリー(SR311型)に始まっている。

モンテカルロラリーに参戦したSR311フェアレディ

 1970年代に入ると、サファリラリー/モンテカルロラリーに投入された240Z(S30型)の見事な戦績がよく知られているが、じつは国内ラリーでも、S30型が持つ軽量ハイパワー性、優れたシャシーバランスに着目して活躍したドライバーがいた。「ミスターSS(スペシャル・ステージ)」と呼ばれる鮮烈なスピードを見せ、単身、三菱ワークスのギャラン勢(篠塚建次郎ら)を相手に切り込んでいった横山文一である。

サファリラリーやモンテカルロラリーに参戦したS30フェアレディZ

 こうしたラリー活動歴を持つフェアレディZに、久しぶりにスポットライトが当たったのは1985年のことだった。当時の日本のラリー界は、1970年代のフルチューニングラリーカーから一転してノーマルラリーカー(生産車)規定に切り替わる。車両性能は、自動車メーカーが排出ガス対策をクリアしたことからパワー競争に突入していた時期だった。

 ちなみに当時の生産車はまだFR方式が主流。全日本ラリー選手権の車両もこの流れに従い、ハイパワーの自然吸気DOHCエンジンを積むいすゞジェミニZZ(PF60型)から、強大なパワー/トルクを持つターボエンジン搭載の三菱ランサーEXターボ(A175型)に移り変わる足取りを見せていた。

 こうしたジェミニ2連覇、ランサーターボ3連覇の流れを進んでいた全日本ラリー選手権に1985年、ついにハイパワーFR車の頂点に位置したフェアレディZ・300ZXターボが登場することとなった。それまで、ラリーカーといえばセダン型乗用車という意識が強かった関係者、ファンの目には、流麗な2シータークーペ、車高の低いフェアレディZの登場は新鮮だった。エントラントがニスモ、ドライバーは神岡政夫という布陣。

Z31型フェアレディZのラリーマシン

Z31によるラリー参戦が始まる!

 ニスモは、日産のモータースポーツ会社として前年の1984年9月に創設され、1985年はモータースポーツ参戦の初年度にあたる年だった。そのニスモ、日産が企業として直接関与を控えてきた国内ラリー活動を真正面から捉え、同社生産車中で最高峰の性能を持つフェアレディZを競技車両に選んだことは、日本のラリー界というより日本のモータースポーツ界にとって、少しばかり衝撃的な出来事だった。

 ちなみに、ニスモの初代社長に就任したのは、日産海外ラリー活動の口火となった1958年の豪州ラリーで、211型ダットサンを操りクラス優勝を遂げた難波靖治氏だった。難波氏はその後、第一特殊車両課の責任者を務め、ブルーバード、フェアレディZによる海外ラリーのプロジェクトを率いてきた経歴があり、ラリーに対する思い入れは人一倍強い人物だった。

歴代Zのラリーマシンがずらりと並ぶシーン

 一方、ドライバーの神岡政夫は、富山県井波町(現・南砺市)の出身で、至近距離にラリーの練習走行に適した林道が存在したこともあり、免許取得と同時に走り込みを開始。全日本ラリー選手権が正式に発足した1980年からカローラ(TE71型)で参戦を始めると、早くもこの年の最終戦となるチーム・アイ第5回スターライトラリーで優勝する。一躍注目される存在となり、ランサーターボに乗り換えた参戦3年目の1982年、ベテラン勢を相手に全日本ラリー選手権のチャンピオンを獲得。余談だが、当時24歳だった神岡の全日本ラリータイトル獲得年齢は最年少記録で、いまだに破られていない。

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