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なんだこの「ホラー感」! 当時のお金持ちをイメージした「ミシュランマン」誕生秘話

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TEXT: 高桑秀典(TAKAKUWA Hidenori)  PHOTO: 高桑秀典/MICHELIN/Auto Messe Web編集部

「ビバンダム」の愛称はラテン語の格言から

 ミシュランマンが誕生した当初は、正式な名前が決まっていなかった。だが、1898年7月に開催されたパリ-アムステルダム・レースにて、若きメカニックで後年レーサーとなるレオン・テリーから「あっ、ビバンダムが来た!」と自分が呼ばれたのを聞いたアンドレは、この表現を気に入り、以後、ミシュランマンは「ビバンダム」とも呼ばれるようになった。前述のラテン語は「ヌンク・エスト・ビベンドゥム」と発音するのだが、それをフランス語読みすると「ビバンダム」というわけだ。

 現在、フランス以外の国では「ミシュランマン」として知られているが、親しみを込めた呼び名である「ビブ」という愛称は、いまだに多くの自動車趣味人の間で親しまれている。

世界で初めて時速100km/hの壁を突破することができた電気自動車「Jamais Contente(決して満足しない)」のハンドルを握るミシュランマン

 往時はクルマが庶民のモノではなく、一部の上流階級の人しか所有できない乗り物だった。そのような上流階級の人たちは丸メガネをかけ、葉巻を吸い、ワインを飲んでいたので、創成期のミシュランマンは彼らの姿を反映させたものだといわれている。ほんの少しだがリアルさを追求したことが災いし、容姿がホラーチックになってしまったのだ。その後、時代の変化と共にミシュランマンも進化し、ドライバーに安心感を与える表情へと変化していった。

1906年のポスターと、1935年の2CV用ミシュランXタイヤのチラシ

白くて愛らしい出で立ちで世界中で愛されるように

 ミシュランマンが白い理由は、かつて高級品だったタイヤがひとつひとつ白い布や紙で包まれていたからだと言われている。だが、往時のタイヤが灰色がかった白色か、明るいベージュ色をしていたから、という説もある。

ミシュランマン100年の変遷

 ミシュランマンといえば、さまざまなオートモビリアやキャラクターグッズが存在していることでも有名だが、もしもミシュランマン/ビバンダムが漆黒だったら、きっとミシュラングッズ・コレクターは相当少なかったであろう。

ミシュランマン/ビバンダムのコレクターグッズは豊富

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  • オ・ギャロップことマリウス・ロシヨンが描いたミシュランマンのスケッチ
  • タイヤの山を前にしたミシュラン兄弟の姿を描いたミシュラン・グラフィック・スタジオによる原画。ミシュランマンが誕生するきっかけとなったシーンである。
  • ミシュランマン/ビバンダムを描いた初の広告ポスター。ビバンダムの名前の由来は「Nunc est Bibendum(いまこそ飲み干す時)」というラテン語の格言
  • 1898年第1回パリ・モーターショーでデビューしたミシュランマン
  • 世界で初めて時速100km/hの壁を突破することができた電気自動車「Jamais Contente(決して満足しない)」のハンドルを握るミシュランマン
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  • 高桑秀典(TAKAKUWA Hidenori)
  • 高桑秀典(TAKAKUWA Hidenori)
  • 本業はフリーランスのライター兼エディター。1998年に買ったアルファ ロメオGT1600ジュニア(通称:水色号)を現在も愛用しており、すでに総走行距離が30万8000kmオーバーとなっている(2022年4月中旬現在)。クラシックカーラリーに水色号で参戦取材することがライフワーク(?)となっており、群馬をホームタウンとして開催されている「スプレンドーレ」では、柴犬を“ワン・コドライバー”、秋田犬を総監督として挑んでいる。全国各地に水色号でお邪魔しているので、これからも走行距離が順調に伸びる予定。
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