三菱が悪路に強いワケがよくわかる! パジェロのご先祖はガチ軍用車「三菱ジープ」だった (1/2ページ)

三菱が悪路に強いワケがよくわかる! パジェロのご先祖はガチ軍用車「三菱ジープ」だった

この記事をまとめると

  • 第二次世界大戦中のアメリカで生まれた「ジープ」
  • 戦後日本で三菱がライセンス契約しノックダウン生産
  • 1998年まで長きにわたり生産が続いていた

第二次世界大戦が生み出した名車「ウィリス・ジープ」の末裔が「三菱ジープ」

 三菱ジープの「ジープ」というのは、アメリカの自動車メーカー、「ウィリス社」が保有していたブランドのひとつでした。その後、ウィリス社は時代の波に翻弄され、それに追随するように「ジープ」ブランドも諸行無常な日々を重ねてきました。そしてさまざまなドラマの末に、現在では「ステランティスN.V.」が保有するブランドとなっています。

 ジープの存在はとても大きく、それと似たクロカン4WDの一般名詞のようになったことで、例えばかつてはランクルを「トヨタのジープ」と表現するなど、間違えた表記も見受けられました。ですが、ジープを名乗れるのはウィリス社とライセンス契約してノックダウン生産から始めた三菱のジープのみです。

1981年の「三菱ジープ」カタログ

 そもそもジープは、第二次世界大戦中の1940年に米陸軍が偵察&連絡用に米国内のメーカーに開発を要請。これに応えて「アメリカン・バンタム」が一次試作車を納入しています。名乗りを挙げたもう1社、「ウィリス・オーバーランド」は期日までに納入できずにタイムアウト。「ゼネラルモータース(GM)」や「フォード」はこの条件での製作は無理、と最初から断わりを入れていました。

 陸軍が要求していたおもな項目は「4輪駆動で3人乗り、積載能力は660ポンド(約300kg)、エンジン出力は40psで車両重量は1275ポンド(約585kg)以下」というもの。49日後という納入期限も厳しかったのですが、何よりも車重585kg以下という条件が、メーカーにとっては「無理難題」と考えられたようです。唯一、期日までに一次試作車を納入したアメリカン・バンタムでも、この最低重量で製作することは不可能と判断、結果的には1t弱の一次試作車を完成させていました。

 一次試作車はテストの結果、二次(増加)試作車の生産が計画されますが、アメリカン・バンタム社のキャパシティを危惧した陸軍は、アメリカン・バンタム社の設計図をウィリス・オーバーランド社とフォード社にも公開、3社の競作となりました。

1941年式のウィリス製ジープ

 結果的にはウィリス・オーバーランド社の二次試作車、「ウィリスMA」がもっとも評価が高く、これを改良した「ウィリスMB」が正式採用。これと同仕様で完全互換の「フォードGPW」の製造が委託されることになり、アメリカン・バンタム社は大型の軍用車と、ウィリスMA/フォードGPWで牽引するトレーラーの製作を任されることになりました。

 ちなみに、「ジープ(Jeep)」という名称は自然発生的に広まっていったと思われますが、戦後、ウィリス・オーバーランド社が商標登録し、以後は同社のブランドとして認められています。そして、民生用のジープが増産されるとともに、世界各国で、ライセンス生産が進められましたが、「三菱自動車工業」(生産が開始された当時は「中日本重工業」)が生産を続けてきた三菱ジープの歴史も、ライセンス生産から始まっています。

1941年式のフォード製ジープ

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