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まさかのマセラティとシトロエンが共同開発! 華がないのに売れた「メラク」という異端スーパーカー

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/MASERATI

シトロエンの油圧システムを採用したメラク

 フェラーリとランボルギーニというスーパーカー界の2トップに続くメーカーとして、ギブリやクアトロポルテで知られるマセラティがあります。1914年に設立されたマセラティが、最初に製作したクルマがGPカーで、その後もレース活動が主体となっていましたが、戦後になってロードカーの生産を開始。シトロエンの傘下に入った1968年以降、スーパーカー市場にも参入することになりました。その諸作となったのは1971年のころでした。

 彼らが最初にリリースした“スーパーカー”は1971年にリリースされたボーラで、翌年登場したメラクは1983年まで生産が続けられたロングヒットとなりました。今回は、ボーラの弟分、メラクを振り返ってみました。

レーシングカーをベースにロードゴーイングのスポーツカーを作り出す

 マセラティの設立は1914年のことでした。アルフィエーリ・マセラティがエットーレとエルネスト、ふたりの弟とともに立ち上げた自動車工房が始まりでした。第一次世界大戦中には、かつてアルフィエーリらが在籍していた自動車メーカー、イソッタ・フラスキーニが生産する航空機エンジンの製造とテストを受け持ちます。その一方でスパークプラグの研究を進め、航空機エンジン用から自動車エンジン用へと発展させ、自動車工房の経営を支えることになりました。

 大戦後はGPカーや、ヴォワチュレットと呼ばれるクラスのレーシングカーを製作、とくにプライベートに市販されたヴォワチュレットでは大活躍することになりました。この辺りを解説していくと、それだけで本が一冊できあがるほどの歴史大絵巻となるのでここでは割愛。一気に時間を進めて第二次大戦後、マセラティとして初の量販モデルとなった3500GTをリリースした辺りから話を続けていくことにしましょう。マセラティ3500GT

 じつはマセラティは第二次世界大戦の開戦前、1938年にはモデナの実業家、アドルフ・オルシに経営権を移行していました。これを、経営が苦しくなってオルシからの出資を受け容れたとする説もあれば、オルシがスパークプラグの製造を見越して経営順調だったマセラティを乗っ取ったとする説もある。いずれが正解なのかは不明ですが、マセラティ兄弟が、資金繰りなどの煩雑な会社の経営に煩わされることなく、クルマの開発に取り組めるようになったのは事実でした。

マセラティ初の市販車は3500GT

 そして第二次大戦を挟んで1965年まで、レーシングカーを生産し、ワークスチームとして闘い続けてきました。その一方で、第二次大戦後はロードゴーイングカーの生産・販売に力を入れることになり、その第一弾として1957年のジュネーブショーでお披露目されたモデルが3500GTでした。マセラティ3500GT

 GPカーができあがると、今度はそれをベースにロードゴーイングカーを生産する。こんなマセラティの公式どおりで、3500GTは1954年に登場した300Sをロードカーに仕立て上げたモデルでした。ただしエンジンは3Lから3.5Lに排気量を拡大しながら、カムドライブをギヤからチェーン式に変更するなどロードゴーイングを意識したものに設計しなおされていて、これがロードゴーイングに力を入れたマセラティの第一歩となりました。

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