どこで道を間違えたのか? 時代を作ったホンダ・オデッセイが消滅に至るまでの歴史 (1/2ページ)

どこで道を間違えたのか? 時代を作ったホンダ・オデッセイが消滅に至るまでの歴史

この記事をまとめると

  • 平成のミニバンブームを席巻したホンダ・オデッセイ
  • 3代目は走りに磨きをかけた低床プラットフォームで登場
  • 5代目で初のスライドドアを採用するも歴史に幕を閉じた

43万台の大ヒットを記録!「初代オデッセイ」

 初代オデッセイは1994年10月、ホンダの一大戦略となったホンダのクリエイティブ・ムーバーの第一弾として、「家族の幸せを」テーマにデビューした。クリエイティブムーバーシリーズはその後、1995年にCR-V、1996年にステップワゴンとS-MXが続いていくことになる。当時の純ホンダ車にはRV(レジャービーグル)系の車種はなく、そこを補うべく登場したのである。初代オデッセイのフロントスタイル

 ところが、企画したのはいいもののホンダの生産拠点では背の高いRV用、あるいはスライドドア車に対応する生産ラインを持っていなかった。そのため、苦肉の策としてホンダ狭山工場のアコード用の生産ラインを使うことになり、じつはそこで全高が決まったという話はあまりにも有名だ。

 しかし制限のある全高ではミニバンならではの室内空間は取りにくい。そこでミニバンとしての室内高、つまり子どもが車内で立って歩ける室内高1200mmを確保すべく、現在のホンダ車では当たり前になった低床パッケージが、ある意味逆転の発想で誕生したのである。その結果、初代のボディサイズは全長4750mm×全幅1770mm×全高1645〜1660mmとなった。ちなみに当初はシートレイアウトが2-2-2席の6人乗りが基本で、2列目ベンチシート仕様を追加したことで一気にブレークした。初代オデッセイのリヤスタイル

 実際、初代オデッセイユーザーの約70%が2列目ベンチシートで売れていたという。そして、当時としては画期的な、5代目まで貫かれた3列目席を床下にスマートに格納するパッケージングとその機構が、初代オデッセイによって確立されたのである。理由は簡単で「シートだらけの車内はカッコ悪い」という開発陣の想いからだったという。初代オデッセイの2列目ベンチシート

 そうした新しさは、まだミニバンブームの前夜という時代のなかで、初代オデッセイが日本の多人数乗用車として大ヒット作となったのは当然で、1999年に2代目に引き継がれるまでの販売台数は43万台以上を記録。多くのファミリーユーザーに愛されたのである。

 初代のパワートレーンは2.2L直4 2.3Lと3L V6を揃え、なんと走りにこだわるあまり贅沢にもサスペンションは前後ダブルウィッシュボーンが奢られていた。つまり、単なるファミリーミニバン、多人数乗車ではなく、ホンダらしい走りにもこだわった“走り好きのパパ”も納得の走行性能を備えていたことになる。

2.2L SOHC16バルブエンジン

人気グレードのアブソルートを初めて設定
「2代目オデッセイ」

 1999年12月にフルモデルチェンジされた2代目オデッセイは、エクステリアデザイン的には初代をキャリーオーバーしたもの。パワートレーンも初代後期の2.3L直4、3L V6の布陣のままだったのだが、シフトレバーはコラム式からインパネに移されたゲート式(Sマチック)となり、とくに走りに重点を置いて進化したと言っていい。それを象徴するのが2001年11月のマイナーチェンジで追加された、その後オデッセイのメイングレードの代名詞となったアブソルートである。2代目オデッセイアブソルート

 アブソルートはローダウンサスペンションと17インチタイヤを装着した、まさにミニバンのスポーツモデルという位置付け。実際、欧州車にも匹敵する走りの質感、上質かつスポーティなフットワーク、そしてV6エンジンの気持ち良さとパワーフィールに感動し、筆者もパールホワイトのアブソルートV6モデルを即買いしたぐらいである。

2代目オデッセイアブソルートの17インチタイヤ&ホイール

 ボディサイズは全長4770〜4835mm×全幅1795〜1800mm×全高1630〜655mm(仕様によって異なる)。初代から採用された3列目席をクルリと回転させて床下にスッキリ収納できる機構は健在で、わが家の家族構成が変わったあとも、愛犬とのドライブ、車中泊にも適した大容量ワゴンとして大活躍。自身の愛車歴のなかで、10年以上というもっとも長い年月をともにした1台でもある。そんな2代目オデッセイの販売台数は約27万台超であった。

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