少年を熱狂させたランボルギーニは水面下で苦難の連続だった! トラクターから始まったその歴史を紐解く (1/2ページ)

少年を熱狂させたランボルギーニは水面下で苦難の連続だった! トラクターから始まったその歴史を紐解く

この記事をまとめると

  • トラクターの製造から始まったランボルギーニの歴史
  • フェラーリとともにスーパーカーブランドを構築する
  • 現在はアウディ傘下でブランドを急成長させている

ランボルギーニ初のモデルは高級GTの350GTVであった

 いまとなっては本当にフェルッチの言葉なのか知るよしもないが、スーパーカーの生産に乗り出したときに「助手席に座るご婦人のメイクが汗で落ちないような快適なクルマを造りたい」とフェルッチオが考えていたいう有名な逸話がある。1号車として開発されたプロトタイプカーの350GTVは、生粋のスーパーカーというよりもフランコ・スカリオーネがデザインしたエレガントなボディを持つ高級GTであった。ランボルギーニ350GTVのフロントスタイル

 初の市販車として、カロッツェリア・トゥーリングがボディの手直しを担当した350GTを1964年にリリースしたランボルギーニは、1966年に350GTの発展版である400GT 2+2を発売。V型12気筒エンジンを積んだ高級GTを得意とするブランドとして富裕層の顧客を増やした。そして、400GT 2+2と同年に発表したミウラおよび1969年に開発したワンオフのテスト車両/レーシングカーであるイオタで、スーパーカーメーカーとしての地位も確固たるものとした。ランボルギーニ・ミウラの生産ライン

 その後、ハイパフォーマンス2+2GTのイスレロおよびフロントエンジン/4シーターのエスパーダを1968年に、イスレロの後継モデルであるハラマおよび初のV型8気筒エンジン搭載車のウラッコを1970年にリリースしたランボルギーニは、カウンタックを1973年に発売。ウラッコの後継モデルであるシルエットも1976年にリリースし、スーパーカーブーム全盛時にフェラーリと人気を二分する存在となった。ランボルギーニ・カウンタック

トラクターの製造メーカーとして財を成したランボルギーニの創業者フェルッチオ・ランボルギーニ。高級GTやスーパーカー製造を続けて行くも、70年代のオイルショックなどが起因となり1978年に倒産。以降、経営体制が変わるも現在はアウディ傘下のもとランボルギーニブランドは大成功を収めている。