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800万円で国産スーパーカーが買えた! 初代NSXにかけた熱すぎるホンダのこだわりとは

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TEXT: 島崎 七生人(SHIMAZAKI Naoto)  PHOTO: 島崎七生人/本田技研工業

  • 初代ホンダNSXをカタログで振り返る

  • 1989年のシカゴでお披露目されたときは「コードネームNS-X」だった
  • 初代ホンダNSXをカタログで振り返る
  • ビークル・ダイナミクスを極めた
  • 新車価格は5速MT車で800万円、4速AT車で860万円
  • DOHC VTECエンジン
  • パワーウエイトレシオとホイールベースウエイトレシオによるチャート
  • 車両重量はわずか1350kgに抑えられた
  • エンジンパーツの写真の脇には技術説明が濃密に詰め込まれている
  • 全周視界角度311.8度と運転しやすさもポイント

1990年に発売されたスーパースポーツカー「NSX」

 初代ホンダNSXのデビューは、1990年9月、今からもう32年も前のことになる。その前年の1989年2月、「コードネームNS-X(ニュー・スポーツ-X)」の名でシカゴ・オートショーにてワールドプレミアを果たし、同年6月にはF1カナダGPでオフィシャルカーとして登場。それから、市販版のNSXが登場する運びとなった。

高いパフォーマンスと志を示した「天の川チャート」

 NSXはもともと北米のアキュラチャネルからの要望もあり、FF量産車とF1を繋ぐ、ホンダのイメージリーダーになるべく生み出されたスポーツカーで、ホンダでは1985年秋から研究開発が進められていたという。縦軸をパワーウエイトレシオ、横軸を「ホイールベースウエイトレシオ」としたユニークな「天の川チャート」で、当時の世界のスポーツカーをプロット。そこから「人間の運転技術とクルマの性能が拮抗する、ミドル級でミッドシップのクルマ」として、動力性能と運動性能を高度に両立しうる新たな目標を設定した。発売まで、じつに6年半ものあいだ研究・開発に時間を費やしたという。

パワーウエイトレシオとホイールベースウエイトレシオによるチャート

 ホンダといえば、1963年に4輪市販車として「2番目」に市場投入したのがオープン2シーターの「ホンダS500」(1番目は軽トラのT360)であり、その翌年の1964年にはF1ドイツGPに初参戦している。そんな社風からすれば、ビークル・ダイナミクスを極めたスポーツカーのNSXの誕生は、まったく不思議なことではなかった。しかし、そこはホンダらしく、新時代のスポーツカーとして「過去に例のない、新しい考えと新しい性能をもったスポーツカーを創造したい」(広報資料より)の思いを貫き、完成にこぎつけたのが、初代のNSXだった。

ビークル・ダイナミクスを極めた

市販直前にエンジンをDOHC VTEC化して設計変更

 とはいえ開発ストーリーをひも解いてみれば、NSXがいかにこだわりまくりで開発されたかがあらためてわかる。プロトタイプのNS-Xがシカゴ・オートショー会場に姿を現したのは1989年2月のことだったが、じつはこのときすでに(その直前に)搭載エンジンを換えるという設計変更が決まったのだった。

1989年のシカゴでお披露目されたときは「コードネームNS-X」だった

 NS-Xには当時のレジェンドのエンジンをベースとした3LのSOHC・V6が搭載されていたが、それがDOHCのVTEC化して市販モデルのNSXに搭載することになったのだ。当然、NS-XからNSXへの「設変」はただごとではなく、DOHC VTECとなったC30A型搭載のために、エンジンそのものを後方に5度傾斜させたほか、なんとホイールベースも30mm延長し2530mmに。必然的にそのほかにもクルマ全体にわたる手直しも実施されるなど、NS-XとNSXとでは、見た限りの違いはごくわずかだったが、実際にはそういった壮大な工程を経ていたのだった。

DOHC VTECエンジン

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