グループA規定にこだわり続けた! 最後まで「進化」を止めなかった三菱ランサーエボリューションの足跡 (1/2ページ)

グループA規定にこだわり続けた! 最後まで「進化」を止めなかった三菱ランサーエボリューションの足跡

ギリギリまでグループAにこだわった三菱ランエボの強さの秘密とは

 三菱が誇る名車は多数存在しますが、その代表格と言えるのは、やはり「ランエボ」の愛称で親しまれた「ランサーエボリューション」でしょう。前編では、ランエボの誕生から、エボIIまでを振り返りました。本稿では、さらに戦闘力を高めたエボIIIから、参戦終了となる最後のマシン、ランサーエボリューションWRCまでを振り返ります。

さらに戦闘力を高めたエボIIIで世界選手権を制覇

 初代ランサーの集大成ともいえるエボIIIが1995年2月にリリースされると、ターマックステージの難所コルシカ島が舞台の第4戦ツール・ド・コルスに、ターマックスペシャリストの若手アンドレア・アギーニを登用し臨むほどの手の入れよう。そして見事に3位を獲得しました。

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1995年のランエボ3画像はこちら

 エボIIIは大型化されたインタークーラーやブレーキ類などへの冷却効率向上を図るフロントエアダム開口部、サイドスカート、リヤウイングなど、見るからにエアロによる効果を見込める豪華なフォルムをまとってきました。グループA仕様のエンジンはターボラグを減らすシステムが採用されレスポンス向上。その結果コルシカでのアギーニはもとより、グラベルの第6戦オーストラリアラリーで、エリクソンが優勝してマニュファクチャラーズ選手権2位となりました。

 こうして熟成を遂げていったランサーで三菱ワークスチームは、1996年にはトミ・マキネンのシリーズ全戦参戦を組みます。マキネンは開幕戦のスウェディッシュ、次戦のサファリ・ラリーと連勝。シリーズ半ばからもアルゼンチン、1000湖、オーストラリアの3連勝と怒涛のような快進撃を続け、自身初のドライバーズタイトルを獲得します。三菱にとってもエボIIIは、世界タイトル獲得をもたらした初のクルマとなったのです。

ライバルがWRカーへ移行するなかランエボIVはグループAにこだわった

 競技ベース車として2500台以上生産の4WD市販車がなければならないグループA規則としては、三菱ランサーエボリューションが性能的に抜きん出てしまった、ということでもあるでしょう。主催者FIAは、生産台数がハードルとなってWRC参戦を留まっている自動車メーカーを引き寄せるべく、数年前から検討されていた新たな車両規定、グループAの特例であるワールドラリーカー(WRカー)を1997年から競技車両と認めることを決めています。

 WRカーでは直接的なベース車両が2500台以上生産されていれば、2リッターターボや4WDシステムも換装できるなど、改造範囲が広いのが特徴。1997年にはライバルのスバル、フォードがWRカーで参戦するなか、三菱は純粋なグループA車両で参戦を続け、この年は1996年にモデルチェンジとなった第2世代のランサーエボリューションIVで戦うことになります。

 市販のエボIVはこれまでと同じ「4G63型」エンジンですが、ラリーカーでは搭載方向を逆転させて吸排気効率を高め、パワーも280psに到達。WRCではマキネンが4勝を挙げて連覇し、ドライバーチャンピオンの座を守っています。

WRカーに対抗するべく進化したエボVを投入

 とはいえ形勢は改造自由度の高いWRカーに傾いてゆきます。1998年1月、ランサーはWRカーで認められているトレッド幅までワイドトレッド化したエボVを市販。ターマック(舗装)路での戦闘力をアップさせたエボVを、第5戦カタルーニャに投入します。マキネンは3位に食らいつき、その後のトヨタのカルロス・サインツとの僅差による壮絶なドライバーズタイトル争いを、最後まで繰り広げることになったのでした。

ランエボ5の走り画像はこちら

 最終戦RACでサインツが最終ステージでリタイアを喫し、チームメイトのリチャード・バーンズがエボVで勝利したこともあり、マキネンはドライバータイトル3連覇、三菱としてはここに初のマニュファクチャラーズ選手権タイトルを獲得することになったのです。