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生産台数わずか2台! 幻の「マスタング」プロトタイプは痛快ミッドシップスポーツだった

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TEXT: 原田 了(HARADA Ryo)  PHOTO: 原田 了/Ford

生産台数はわずか2台のみ!

 ルックスではライバルを圧倒していた、というべきかもしれません。全部で2台が製作された記録がありますが、残念ながらアメリカのフォード博物館で出会った1台は、何の変哲もないアルミホイールを履いていました……。フォード・マスタングⅠ 2ドア・ロードスター コンセプト そのデビューもビッグサプライズだったというべきでしょう。その舞台はワトキンスグレン・サーキット。1962年のF1アメリカGPでデモンストレーションランを行ったのですが、これをドライブしたのがF1ドライバーとしても有名なアメリカンヒーローのひとり、ダン・ガーニーだったのです。レース前のダン・ガーニー ちなみに、彼は同グランプリにもドライバーとして出走し、決勝では5位入賞を果たしていたのですが、まだフォードが開発をバックアップしたコスワースDFVが登場以前の1.5L時代で、レースで彼がドライブしたのがポルシェだったのは皮肉でした。

 市販モデルのマスタングが誕生する前年、1963年にはフロントにエンジンを載せた2+2のロードスター/コンバーチブルのマスタングII・コンセプトが登場しています。こちらはまさにマスタングの市販モデルに向けたパイロット版で、マスタングⅠロードスター コンセプトはむしろ、フォードGTへと発展していったパイロットモデルというべきかもしれません。マスタングII・コンセプト いずれにしてもマスタングに、スポーティなイメージを植え付け、ベビーブーマーの心を熱くたぎらせたという意味では、マスタングに必要なプロトタイプだったのでしょう。

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  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • 原田 了(HARADA Ryo)
  • ライター。現在の愛車は、SUBARU R1、Honda GB250 クラブマン、Honda Lead 125。クルマに関わる、ありとあらゆることの探訪が趣味。1955年、岡山県倉敷市生まれ。モータースポーツ専門誌の地方通信員として高校時代にレース取材を開始。大学卒業後、就職して同誌の編集部に配属。10年間のサラリーマン生活を経て90年4月からフリーランスに。モータースポーツ関連の執筆に加え、オートキャンプからヒストリックカーイベントまで幅広く取材。現在ではAMWに、主にヒストリー関連コラムを執筆。またライフワークとなった世界中の自動車博物館歴訪を続け、様々な媒体に紹介記事を寄稿している。
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