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短期集中連載「トラック野郎・一番星号」復活への道vol.5

着々と進む「一番星号」のお色直し

長年の風雨にさらされて傷んでしまった「一番星号」の箱絵(荷台の絵)。その修復は、オリジナルの再現といえるクォリティを実現した。それは、元東映美術監督である桑名忠之氏が参画していたからだ。この人物こそ、映画・トラック野郎で「一番星号」の箱絵を手掛けた一人なのである。

このような大プロジェクトで復活を遂げる一番星号が、観音扉のリペイント後に出掛けたのは石川県で開催された「全国北誠会」のイベント。この石川県は、約1年前に鈴木監督(映画・トラック野郎)を追悼する「カナザワ映画祭」でも訪れた場所。その頃の一番星号はようやくナンバーが付いただけの状態だったが、今回はお色直しも進んだ姿である。復活に向けて着々と仕上げられている一番星号を改めて石川のファンにお披露目する機会となった。

観音扉のリペイント以外には、寝台窓(運転席後方のスペース)の絵柄の裏に蛍光灯をセット。これによって寝台窓に描かれた絵柄の存在感が増した。

さらに一番星号の外装アイテムで欠品となっていた箱前部の両サイドのマーカーランプだが、これも製造元を探し当ててることに成功。連絡を取りお願いすることで特別に製作してもらった。

内装はまだ手つかずだが、それでも助手席後部の襖は映画を参考に再現。助手席や寝台も畳敷きになっていて和の魅力をアピールする。

日が暮れると待ちわびていたギャラリーが一番星号の周辺に集まり出す。
お目当てはもちろん完璧に作り直されたナイトシーンを見ること。それだけに一番星号の電飾に光が点ると大きな歓声が沸いた。

シリーズ第3作の撮影以来の北海道上陸

1976年に公開されたシリーズ3作目「トラック野郎 望郷一番星」は北海道が舞台だった。一番星号にとって、それ以来となる北海道上陸である。
青森の八戸港までは陸路を自走し、そこからフェリーで苫小牧港へ向かったのだが、突然の一番星号の乗船に船内の作業スタッフも驚いていた。

苫小牧へ上陸した一番星号はチャリティ撮影会会場へ移動。現場では到着を待ちわびた多くのギャラリーが待っていてくれたが、さらに40年ぶりに北海道へ上陸した一番星号を取材するため地元のTV局も来ているほどの盛り上がりだった。そしてここでもナイトシーンを披露したが、どこにいってもこの点灯の瞬間は盛り上がるものである。


若い萌車オーナーからも共感される「一番星号」

三重県伊賀市・伊賀上野の町おこしとして開催された「萌車オフ in 城下町上野」この主催者である冨永氏から「ぜひ!」という依頼を受けて一番星号も参加した。

「萌車オフ in 城下町上野」は、アニメやゲーム、コミックのファンでもある萌車(痛車)の愛好家が集まるイベントで、参加者の年齢はデコトライベントと比べるとかなり若く「トラック野郎」や「一番星号」というのは名前だけ知っていると言うレベルの人がほとんど。存在すら知らない人もいる。

しかし、そんな人達にも一番星号の存在感は伝わったようで会場では大注目を浴びていた。そこで当初は予定になかったナイトシーンがまだ明るさが残る夕方に敢行された。


「一番星号」が結んだサプライズ

次の目的地は九州で行われたデコトライベント。九州といえば星桃次郎(トラック野郎の劇中名)こと、菅原文太さんが眠っている太宰府天満宮がある地である。そこで今回の九州遠征では太宰府天満宮でのお参りも目的だった。

ところがここでうれしいハプニングが発生。遠方から一番星号の現オーナーである田島会長が来たということで、菅原さんの葬儀を執り行った宮司のお祓いを受けられることになったのだ。これも一番星号が結んでくれた縁と言えるだろう。

さて、菅原さんへのお参りも済ませたところで、ひとまず一番星号復活の記録は終了する。しかし、箱絵の修復を含めてまだまだやることは残っている。この企画を掲載する「トラック魂(スピリッツ)」誌・交通タイムス社刊では、引き続き取材を続けていく予定だ。

<トラックカスタム・プロショップ>


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