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抜け道で闘うライバルに対し正攻法で誕生した超絶マシン! グループAのために作られたBMW M3とは

生産車の段階でレース対策が施されたモデル

 ツーリングカーによるサーキットレース、あるいはツーリングカーに準じた車両によるラリーの規定で「グループA」という言葉を耳にしたことはないだろうか? ひと口で言えば、生産車の基本構造、基本メカニズムで戦うことを規定した車両規格のことで、生産車からの改造、チューニングを大幅に制限した規定である。

 このグループA規定は、1982年から1997年まで適用された車両規格で、正確にはレースとラリーで適用期間が異なっていた。サーキットレースは1982~1988年まで(例外的に日本だけが1993年まで)、ラリーが1982~1997年までとなっていた。

 なぜ大幅に改造を制限した規定が設けられたのか、ということになるが、それまでの車両規定であるグループ2/4規定が、メーカーを挙げてのチューニング合戦に陥り、最終的にこの車両規定に追従できるメーカーがなくなったことから、競技の成立が危ぶまれる事態となっていたからだ。

まさにグループAレースのために作られた車両だった

 グループA規定は、これへの対応策として事後の改造、チューニングを大幅に制限し、生産車両の基本構造、基本メカニズムで戦うカテゴリーとすれば、参戦門戸を幅広く構えられ、多くのメーカーが参画することでレースの隆盛化が図られると考えた結果である。

 実際、この考え方は正解かと思われたが、レース向きでない車両を生産するメーカーへの救済策として用意された使用パーツの追加公認申請制度が逆手にとられ、より多くの競技用パーツの申請を行ったメーカーの車両が戦闘力を上げる結果となつていた。ボルボ240T、ジャガーXJ-S、ローバー・ビテスといった車両が主導権を握る流れとなったのは、このためである。

 こうしたなかで、創業以来ツーリングカーレースを自社の身上としてきたBMWは、当時、世界最高位と目されていたヨーロッパツーリングカー選手権(ETC)に継続して参戦。グループA規定が適用された1982年以降も528iや635CSi、325iで活動を続けていたが、レースを有利に戦うためホモロゲーションシート(パーツの追加公認申請書)を山と積み上げる戦略で臨むボルボやジャガーに対し、同じ手法で相手をするにはどうにも非合理的と判断。

 生産車の状態で、レースに対応できるメカニズムや構造を備えた車両を準備すれば、手間のかかるパーツの追加公認申請の手間は不要で、なおかつ想定した戦闘力の車両で戦えることから、グループAレースに対応した車両を開発、これの市販に踏み切った。

 その車両が、初代BMW M3(E30)だった。車体構造をレース使用に耐える剛性、強度で仕上げ、エンジンはレース使用を見越したものを搭載。後付けが一切禁止された空力パーツも、量産車の段階からレースで使えるものを設計して装着。手間、コストはかかるが最初からグループAに対応した車両を生産すれば、レースに投入した場合、圧倒的優位に立てることは間違いない。M3は、まさにグループAレースのために作られた車両だった。

 E30型M3の優れた着眼点は、最大排気量クラスとなる2500cc以上を選ばず、グループA2クラス、すなわち1600~2500ccの中間クラスで車両を選定したことにあった。グループA戦は、個別レースに総合優勝制を採らず、クラス制が採られていたからだ。こうした意味で、コンパクトでハンドリングに優れた3シリーズのレースカーは、有力チューナーのリンダーが325iを走らせていたが、この車両は6気筒エンジン搭載車で、レースカーとして必ずしも最高の条件を備える車両ではなかった。

ライバルのフォード・シエラRSとタイトルを争う高性能ぶりを発揮

 6気筒エンジンは、車両の絶対重量、前後バランス、さらにはハンドリングで不利になることを承知していたBMWは、M3用のエンジンとして、M1で使われていた3.5リッター直列6気筒4バルブDOHCのM88型から2気筒分を切り落とした2.3リッターの4気筒S14型エンジン(初期型195ps、最終型220ps)を開発、搭載。M88型エンジンは、安定した高出力性、壊れないことから、グループC2カー用として需要の高い人気のエンジンだった。

 BMWの選択肢としては、純レーシング仕様のM12系エンジンを使う手もあったが、M3が量産高性能ツーリングカーという点を考慮し、M88系からの派生となるS14型を新たに開発するという事情があった。

 M3は1986年に市販され、ETCには1987年からの投入となったが、狙いどおりに2クラスで圧勝。白地に青/紫/赤のストライプを配したワークスカー(シュニッツァー)の戦闘力は圧巻で、最大排気量クラスのフォード・シエラRSとタイトルを争う高性能ぶりを示していた。

 また、日本のプライベーターも積極的にM3を入手。まっ先に投入したオートテックM3の快走ぶり、好成績は印象的だった。なお、市販のM3は1989年にスポーツエボリューションに発展し、排気量を2.3リッターから2.5リッター(238ps)に引き上げていた。

 その後M3は、次世代モデルのE36型以降も企画され続けたが、生産車の段階でレース対策が施されたモデルは初代E30型のみ。言ってみれば、サーキットレースのDNAで作られた車両だけに、現在その付加価値が見直され、車両人気が高騰中という状態である。

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