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32台限定の「BNR32 S&Sリミテッドバージョン」! オーナーが語る「幻のGT-R」との蜜月

希少なR32GT-Rを手に入れたオーナーとその半生

 今なお国産ヒストリックカーの「エース」と言える日産スカイラインGT-Rシリーズ。中でも根強い人気を誇るのがBNR32だ。今回紹介するのは「スカイライン育ての親」である櫻井眞一郎氏率いる「S&Sリミテッド」が同車の中古車をベースにチューニングを施し、台数限定でリリースした「BNR32 S&Sリミテッドバージョン」だ。今回、幸運にもその希少な1台を手に入れた幸運なオーナーと愛車の半生についてお話を伺った。

初出:GT-R OWNERS FILE 3(2013年刊、GT-R Magazine別冊)

 

生産終了後も人気が衰えなかったR32スカイラインGT-R

 発売されるや爆発的な人気車となり、絶版となってからも熱狂的なマニアが後を絶たない名車、それが日産R32スカイラインGT-Rだ。ご存じのように、RB26DETT型直列6気筒DOHCツインターボを積むBNR32は、1989年に登場した。スカイライン基準車の発表から3カ月後の8月21日、BNR32は正式発売となる。
 鮮烈なデビューから丸5年でBNR32は勇退し、後継のBCNR33にバトンを託した。が、生産が終了した後も人気は衰えない。というよりむしろ人気が再燃し、再販を望む声も高かったのである。その声に応えたのが、スカイライン育ての親である櫻井眞一郎氏率いるS&Sエンジニアリングだ。20世紀の最後を締めくくる2000年10月に「BNR32 S&Sリミテッドバージョン」を限定販売した。

 

「櫻井眞一郎」が手がけた「BNR32 S&Sリミテッドバージョン」とは

 監修したのは、初代から7代目のR31まで手掛け、スカイラインを知り尽くした櫻井眞一郎氏だ。当然生産は終了しているから新車ではない。程度のいいBNR32の中古車を厳選し、これにファインチューニングを施して送り出したのである。販売台数は32台限定、販売価格は新車発表時と同じ445万円だった。
 販売方法もユニークだった。オンラインショッピングサイト(当時)の『パワーバイ・ドットコム』と『カーポイント(現・カービュー)』のウェブサイトを販売窓口としたのである。2000年10月25日の正午に受け付けを開始し、先着順に販売を行った。
 このBNR32 S&Sリミテッドバージョンは好評をもって受け入れられた。受け付けを開始するや否やアクセスが殺到し、わずか1分で完売してしまった。落札できず、キャンセル待ちに回った人は500人をはるかに超えたといわれている。

チューニングは多岐に渡ったが外観はノーマルを堅持

 スカイラインとGT-Rに対し、特別な思い入れのある櫻井氏が監修しただけにチューニングメニューは多彩で高性能だった。RB26DETT型エンジンはリビルドされ、ヘッドまわりを加工するとともにチタン製のバルブリテーナーも組み込んでいる。ターボユニットはレスポンスが良く耐久性の高いBNR34STDのものとした。最高出力は350ps/7500rpmを誇った。
 16段階に減衰力の調整ができるサスペンションキットもS&Sオリジナルだ。これにニスモ製のリンク類などを組み合わせた。絶妙なセッティングにより新車時よりも気持ちよく、意のままに操ることができた。
 BNR32 S&Sリミテッドバージョンは伝説の名車だが、Cピラーとトランクリッドにエンブレムを装着するのみで、外観は一見ノーマル。まさに櫻井眞一郎氏が思い描いた通りの、最良であり最強の「羊の皮を被った狼」だったのである。

吉田稔さんが希少な1台を手に入れるまで

「夢のようです。わたしが幻のGT-RといわれたBNR32 S&Sリミテッドバージョンのオーナーになれるとは思ってもいませんでした。実は受け付け開始日にウェブにアクセスしたのですが、繋がらなかったのです。縁がないクルマなんだな、と諦めていました」
 幸運にも希少なBNR32 S&Sリミテッドバージョンの1台を手に入れた吉田稔さんは、開口一番、運命の出会いを語り始めた。ある専門職を生業とする吉田稔さんは、子供のときからクルマが大好きだった。スーパーカー世代の少年で、そのころ家にあったのは5代目スカイライン(ジャパン)だ。だからスカイラインに関しては多くのエピソードがある。
 小学2年生になった春、大好きなスカイラインにターボ搭載車が加わった。そのときの興奮を、吉田さんは当時の日記に記している(今も保管)。これに続く6代目スカイラインではDOHC4バルブエンジンを積む「RS」の高性能ぶりに度肝を抜かれたという。
「小学校3年生のとき、発表されたばかりのスカイラインRSを見に、最寄りのディーラーに行きました。そこで初代GT-Rのレースシーンを収録したビデオも見たんです。ブレーキが白煙を噴き上げているシーンが強く印象に残っていますね。この瞬間、GT-Rのすごさに感動し虜になってしまったのです」

自動車雑誌を読みスカイラインに憧れた

 高校生のとき、自動車専門誌にBNR32のスクープ記事が載る。「GT-R復活」の文字が躍るのを見て、吉田さんは狂喜乱舞した。これ以降、寝ても覚めてもGT-Rを恋い焦がれる日々が続く。が、若者にとってGT-Rは高嶺の花だった。吉田さんが最初に手に入れたクルマはR32スカイラインのGTSタイプSである。死にものぐるいでバイトに励み、19歳のとき新車で購入した。その後、このスカイラインと10年、18万7000㎞を共にした。愛情は冷めていなかったが、気がつけば度重なる改造によってボディなどがヤレ、バランスも崩れて維持するのが難しくなっていた。
「GTSに乗っている間もずっとGT-Rには憧れていましたが、なかなかいい個体に出会えませんでした。そんな折り、2003年に走行50kmほどのBNR32 S&Sリミテッドバージョンが某中古車店のサイトに出ているのを発見したのです。チャンスが巡ってきたと思いました」

オーナーとしてゆっくりとオドメーターを刻みながら

「すぐに連絡を取り、次の日に見に行きました。それまで山ほどBNR32の中古車を見てきましたが、これほどシャンとしているGT-Rは見たことがありませんでした。立ち姿が良かったのです。迷うことなく購入を決めました」
 念願のRオーナーとなった吉田さんだが、GT-Rは購入後しばらく、兵庫県神戸市にある実家のガレージに置いていたという。神戸には六甲山など楽しいワインディングロードが数多く存在する。だから実家に戻ったときに、気持ちを込めてGT-Rのドライブを楽しんだ。数年前、オドメーターが4000kmを超えたころ、東京に持ってきた。手元に置き始めてからより乗る機会が増えたという。取材当時オドメーターは1万1000kmを指していた。
「やはりすごいクルマでした。チューニングされたエンジンは気持ちよく回り、サスペンションもいい仕上がりでした。高速道路を流しているときでもエンジンの音色が素晴らしい。運転席からの景色がGTSと同じなのも気に入っているところです。 GT-Rオーナーになってみて、改めてGTSの素晴らしさにも気づかされました。このGT-RにはGTSに乗っていたときに装着していたパーツ等も移植しているんです」
 気がつけば幻のGT-Rを10年以上も乗り続けている吉田さん。愛した1台を長くじっくり乗り続けることを信条とする彼とGT-Rの付き合いは、末永く続くことだろう。

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