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車いすレーサー青木拓磨、長年の夢だった「ル・マン24時間レース参戦」を終え「激戦」を振り返る

車いすレーサーがル・マン24時間に初参戦

 2021年のル・マン24時間レース(8月21日-22日決勝)は、ハイパーカーが導入された初の大会であった。TOYOTA GAZOO RacingのGR010 HYBRID7号車(M.コンウェイ/小林可夢偉/J-M.ロペス)がポールポジションからスタート。371周を走行して無事にチェッカーを受け、ハイパーカーとして初の優勝車両になり、トヨタはこれで2018年の初優勝から4連覇を達成した。

 その第89回ル・マン24時間レースに、車いすドライバーの青木拓磨選手も初参戦した。そして帰国後2週間の自主隔離を経て、自ら主催している国内イベントに顔を出している。この日もHDRS(ハンド・ドライブ・レーシング・スクール)で指導も行っていた。あの感動から約ひと月、拓磨選手の今の想いを聞く機会を得ることができた。

不慮の事故を負った青木選手が長年追いかけてきた「ル・マン出場」という夢

 青木拓磨選手は、世界ロードレース選手権(WGP、現モトGP)GP500クラスにフルエントリーで挑戦を開始した翌年、シーズン前のテスト中の事故により脊椎を損傷し車いす生活を余儀なくされた。その結果、2輪ライダーから4輪ドライバーへ転向してレース活動を展開。サーキットレースだけでなく、ダカールラリーやアジアンクロスカントリーラリーに出場してきた。

 今回のル・マン参戦は、そんな拓磨選手の長年の夢であった。彼が事故後に自身の目標として掲げたひとつが、「2輪でレースができなければ4輪。できれば世界一のレースであるル・マン24時間レースに出たい」ということだった。

 今回拓磨選手とともにル・マン24時間レースに挑戦したのは「SRT41チーム」。チーム代表であるフレデリック・ソーセ氏は、人喰いバクテリアによる四肢切断となってしまってからレース活動をスタートさせ、2016年にル・マン24時間レースに出場した経験を持つ。そのソーセ代表が次に目指したのがこのプロジェクトであり、2018年からの3年計画でル・マン24時間レース参戦を目指すというものであった。

コロナ禍の影響で2020年のレース参戦は断念

 2018年にフランス国内選手権への参戦からスタートした。2019年には欧州のヨーロピアン・ルマン・シリーズ(ELMS)に参戦、2020年にはマシンをLMP3からLMP2マシンへとスイッチし、ル・マン24時間参戦をする予定であった。しかし、新型コロナウイルス感染症拡大の影響もあって事前に予定していたELMSへの参戦も予定通りにいかず、チームは2020年のル・マン24時間レース参戦を断念。代わりに2021年大会に向けて準備を重ねてきた。

 SRT41は、当初は障がいを持つドライバーで構成されていたが、このコロナ禍で2018年に加入していたドライバーのひとりがチームから離脱。ベルギー人のナイジェル・ベイリー選手(下半身不随)と青木拓磨選手、そしてリザーブドライバーとして登録していた健常者ドライバーでフランス人のマチュー・ライエ選手という3人のドライバーでこのレースを戦った。

 今回SRT41が用意したマシンは、コンストラクターであるオレカが製作したハンドドライブ式のオレカ07ギブソン。このマシンで、ル・マンの「イノベーティブカー」クラスへ参戦となった。車両は手動装置を載せたことで、通常のオレカ07ギブソンに比べ重量で20kg重く、ハンドドライブ機能は新たにブレーキ操作のためのレバーを備えている。これを前方に押すことでブレーキ操作し、レバー先端にあるボタンはシフトダウンとなる。また、ステアリングのパドル操作で、アクセル、シフトアップ、クラッチの操作をする。ブレーキ操作の強さであったり、クラッチワークといったハンドドライブ機構の煮詰めが足りないところもある。

 また、SRT41のチームには特別にドライバー交替はピット内で行わなければならないというレギュレーションも課されていた。車両横まで車いすで移動することや交替のために介助スタッフをつけることから、そのような措置となったが、ほかのLMP2マシンよりも多くピット時間を割かなければならないといったハンデもある。

スピンするも無事に復帰しバトンを繋ぐ

 それでも予選では、ほかのLMP2マシン2台を上まわる28番グリッドを獲得。決勝レースでは、直前の降雨でいったんウエットになった路面が乾いていくという微妙なシチュエーションのなか、マチュー選手がスタートドライバーを担当、この難しい路面コンディションのなかをミスなく走行する。このマチュー選手からバトンを受けた拓磨選手のタイミングでも天候が不安定になり、一度はスピンを喫したものの、マシンを壊すことなく、その後は安定した走行を重ねていく。予定スティントを終えると、同じく車いすドライバーのナイジェル選手にバトンを繋げた。

 84号車は序盤に順位を落としていったものの、しかし、順調に走行を進め、順位を徐々に上げていくことに成功していく。チームでは、当初はマチュー選手が走行を多く負担するような作戦であったが、マチュー選手が139周、拓磨選手104周、ナイジェル選手91周を走行することとなった。最終スティントは拓磨選手がこの84号車のステアリングを握り、チェッカーフラッグを受け、総合32位でフィニッシュした。

 チェッカードライバーの拓磨選手はウイニングラップを走り、無事にホームストレートにマシンを止めてスタッフの手を借りて車両から降りた際には、会場からは非常に大きな歓声と拍手が贈られた。

参戦後、青木選手が語る「ル・マン」の魅力とは

 参戦から1カ月。青木選手に改めてそのル・マンを振り返ってもらった。

「今でも、気分爽快、です。そしてもう一度、あのサルト・サーキットを走りたいって思っています。やっぱり、ル・マンって特別だったなってしみじみ思いますし、そのサーキットをもっと完全な形で走りたいっていう気持ちが芽生えてきています」

「完全な形っていうのは、まずいつも通りのル・マン24時間レースでの開催ですね。25万人を超える観客の皆さんが見に来れて、市内での公開車検や撮影もスケジュールに入っていて、ということ。それ以外にわれわれの今回の参戦では、ACOの関係者やレーシングカービルダーのオレカのスタッフとも知り合えました。こういった方々に車いすユーザーへの理解をもっと深めてもらった形での参戦です。また、じつはマシンも今回の車両は完璧ではなかったです。オレカのスタッフも『次は手動装置をもっと良いものに仕上げられる』って言ってくれました。今回は手探りの部分が多かったというのは正直なところです」

「こういった環境すべてをもっと進化させていきたいですし、マシンという機械を使うモータースポーツだからこそ、健常者と障がい者の垣根を越えて一緒に楽しめる世界が実現できると思ってます。それをリアルにやっていけたらと思っています」

 サルト・サーキットに戻るために、すでに徐々にではあるが活動を進めている青木拓磨選手。ふたたびあの場に立つ日が早く来ることを期待したい。

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