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雨の富士に泣く! アラフォー「リケジョ」があえてスプリントレースの世界に戻った理由とは?

女同士の本気バトルが見どころの「KYOJO CUP」

 富士スピードウェイをおもな舞台に、2017年から開催されている「KYOJO CUP(以下はKYOJO)」。女性だけのワンメイクレースということで「和気あいあいかな」などと思ったら大間違い。毎回のように火花散るバトルが展開されている。

 2018年までの2年間は無敵を誇った小山美姫(以下、本記事中のドライバーは敬称略)や、2019年のチャンピオンである村松日向子はその後、レース参戦や留学で海外へと活躍の場を移した。また、昨年はすでにフォーミュラの世界でも実績を残した三浦 愛が、そのキャリアを証明するようにタイトルを手にして1年で卒業した。

 さらに、本サイトや姉妹メディアのCARトップ誌のリポートでおなじみの猪爪杏奈や藤島知子も参戦中につき、興味を持っている読者の方も多いかもしれない。そんな注目のカテゴリーだが、9月26日に富士で開催された今年の第3戦の模様と、そのレースでKYOJOデビューを果たした小松寛子のストーリーを今回はご紹介したいと思う。

そもそもKYOJYOとは何か?

 と、その前にKYOJOについて少しレクチャーさせていただく。使用車両は三重県にあるウエストレーシングカーズが開発・製造する「VITA-01」。見ての通りレース専用に特化したマシンだが、パワートレインはFF車のヴィッツのコンポーネントを前後逆に搭載。つまりエンジンはドライバーの背後にあり、後輪を駆動する“ミッドシップ”レイアウトを採用しているシングルシーターだ。

 イコールコンディションを徹底し、腕だけで勝負するために、ABSやトラクションコントロールなどの電子デバイスは排除。トランスミッションは5速マニュアルを右手でシフトする。タイヤは晴雨兼用のダンロップ製ラジアルのワンメイクで、もちろん1レースに1セットしか使えない。

 このレースの生みの親は、ル・マン24時間にて日本人として初優勝を飾ったレジェンドの関谷正徳さん。モータースポーツの世界に、女性たちがプロを目指せる道を作りたいという発想から2017年に初開催。現在は年4戦のシリーズに発展し、昨年からオリンピック開催中のブランクを埋めるために鈴鹿サーキットでも1戦が開催されるようになっている。

 今回のKYOJO参加者は15名。将来はスーパーGTやル・マンへの出場を目指す20代の若手がゾロゾロいるのは当然として、すでに社会人として活躍しているキャリアウーマンも複数いて、世代を超えたガチバトルが本戦も展開された。

 前者の代表は開幕2連勝中の辻本始温だろう。カート出身の現役女子大生だが、KYOJOにも昨年から参戦して今季は絶好調だ。もちろん昨年デビューウインを飾った猪爪杏奈、前年ランキング2位でスーパー耐久(S耐)優勝経験もある翁長実希、スーパーFJやTCRジャパンにも参戦中の下野璃央など、気鋭の若手たちがひしめき合っている。

個性派揃いの女子とともに走る「リケジョ」小松寛子とは

 一方のキャリア組も多士済々だ。プログラムにKYOJO最年長と紹介されているおぎねぇは、サーキットでの実況も務めるフリーアナウンサー。モータージャーナリストのフジトモこと藤島知子はご存知の通りで、過去には3位表彰台を獲得した関西の某ショップオーナーもいる。小松も流行りの言葉で言えば“リケジョ” ……理工系の大学を卒業後、カーナビやオーディオで有名な会社を経て、某大手メーカーに勤務するエンジニアだ。

 公式プログラムでは「スーパー耐久シリーズなどでも活躍した小松寛子もKYOJO CUP初参戦。もてぎチャンピオンカップでVITAレースは経験済みで、こちらの走りにも期待したい」と紹介されていた。その通りで、小松は2017年から2020年までの4年間、国内主要サーキットを転戦するS耐にフル参戦。とくに昨年はST-5クラスに初参戦した72号車ロードスターのAドライバーを務め、第5戦のオートポリスで見事2位に入賞している「S耐で表彰台を経験したドライバー」なのだ。

 そんな小松のレースキャリアを駆け足で振り返ると、初レースは2004年のロードスター・パーティレース最終戦。3名で走った60分耐久で見事に2位表彰台を獲得している。その後、2代目NBから3代目NC、現行のNDと歴代のロードスターでパーティレイースに参戦し、NCでは多くの優勝も経験。誰もが認める最強の女性パーティレーサーのひとりだ。また2015年にマツダWIMS(ウィメンinモータースポーツ)1期生に合格し、LOVEDRIVEレーシングの一員として2019年まで活動。S耐にもこのチームからデビューしている。

肩に力が入り13位でフィニッシュ

 8時30分からの公式予選は、前日に降った雨の影響で一部が濡れた状態で始まったが、基本的にはドライ路面でのタイムアタック合戦となった。ポールポジションは下野が2分00秒210で獲得。小松は2分02秒101で10番手につけた。デビュー戦としては、まずまずの結果と言っていいだろう。

 ところがこの日の富士は、昼過ぎから天候が急変。降り出した雨が勢いを増すなか、少し遅れて12時36分にスタートした12ラップの決勝レースは、まさに生き残り合戦になった。

 小松はまずフォーメーションラップ中にスピンして隊列への復帰が遅れてしまい、レース後に訓戒処分を受けた。再スタートして10番グリッドからスタートできたのは不幸中の幸いだったが、その後は長い直線から1コーナーに進入する際のブレーキングにことごとく失敗。

 オーバーランやスピンを繰り返して、せっかくほかのセクションで少しリカバリーした分をロス。さらに13コーナーのスピンからの再スタートに手間取ってラップダウン。完走した13台中の最下位という結果に終わってしまった。

 ちなみに優勝は翁長、2位は辻本でチャンピオンに大きく前進。3位は斎藤愛未で、予選トップの下野は反則スタートのペナルティが響いて追い上げるも4位まで。藤島は9位で、猪爪はわずか1周でレースを終えている。

リケジョはなぜVITAに参戦したのか? 直撃インタビュー

 レース後の小松は意外にもサバサバした表情で、インタビューに応じてくれた。「今日は雨、VITA、富士という3つの組み合わせに完敗でした。もしこの3つのうち、VITAじゃなくてロードスターだったら、勝負になったと思いますよ」と、これも淡々と語った。 じつは彼女の当初の予定では、8月8日にツインリンクもてぎでデビュー戦を戦ったあと、9月下旬から富士で練習を重ねて、10月中旬に組まれていたKYOJO第3戦に参戦する計画だったそう。ところが日程変更でこのKYOJO第3戦が、オリンピック終了後に9月24日から営業を再開したばかりの週末にリスケジュール。つまり、わずか2日間の練習だけで、本番を迎えてしまったのだという。

 さらにこのVITA用タイヤは、ウエットになるともともと薄いグリップ感が顕著になる傾向があるため、経験値の差が出やすくなりやすい。もちろん全員が同じタイヤなので言い訳は無用なのだが、ウエットの富士での練習がまったくできなかった小松が不利だったことは否めない。

 実際に8月のもてぎでは17台中、予選5位&決勝9位でデビュー戦を完走しているし、今回の予選結果から見ても、ハーフウエットからドライでは十分以上に戦えることは証明したと思う。

 小松にカテゴリーを変更した理由を直撃した。「ラブドライブで戦っている間は充実していました。今でも感謝しています。でも昨年、NATSさんのチームで優勝を争うレベルになると、自分のスキルがまだまだ足りないと痛感させられました。ただS耐マシンは自分ひとりのものじゃないし、実際問題として走行時間が限られてしまいます。もう一度、S耐に戻ったときにチームに貢献できるためにも、別のカテゴリーで鍛えようと思いました」とのことだった。

 そのために選んだマシンがVITA。レーシングドライバーとしても活躍する加藤正将さんが運営している、MARS RACING FACTORYのレンタルマシンだ。

 コーチも務めている加藤さんは「小松さんはクルマの動きについて理解が早くて、成長していますよ。今日は条件的に初めてのKYOJO-CUP、富士、そして雨の決勝といった初物づくしでしたし、無線の代わりにレギュレーションで認められている、携帯電話もあまり通信環境が良くなく、細かいアドバイスも届きにくかったのが残念です。今後に期待してください」とコメントした。

 当面はこのマシンで、FCR-VITA(KYOJOと同じ週末に開催され、こちらは男女問わず参戦可能)とKYOJOにダブルエントリーを予定する小松。まずは12月の今季のKYOJO最終戦で「最低でも入賞!」、さらに来シーズンも継続の予定で「来年は勝ちますよ!」という目標を語ってくれた。

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