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幻の400馬力ツインターボFR「チェイサー」クーペ!「スーパーシルエット」は何故開催されなかったのか

実現しなかったシリーズと幻のレーシング・チェイサー

 1994年から5年間に亘って開催された、全日本ツーリングカー選手権(JTCC=Japan Touring Car Championship)が1998年限りで終焉を迎えるのを受け、1999年から、これに代わる全日本選手権シリーズとして企画されていたのが全日本スーパー シルエットカー選手権(SSCC=Super Silhouette Car Championship)でした。残念ながらシリーズは開催されず、チェイサー“似の”プロトタイプもお蔵入りとなってしまいました。今回は、国内ツーリングカーレースにおけるチェイサーの、レーシングヒストリーをクローズアップしましょう。

JTCCで有終の美を飾ったチェイサー

 チェイサーが初めてレースに参戦したのは1997年、JTCCの第4シーズンでした。1985年から1993年まで9年間にわたって開催された全日本ツーリングカー選手権(JTC=Japan Touring-car Championship)は、FIAで定められたグループA車両によるセミ耐久レース。対してJTCCは約100kmのスプリントを2レース行うフォーマットに代わっていました。

 参戦車両も2Lクラスの4ドアセダンをベースにチューニングしたものですが、2L以下で同じメーカー製なら別のモデルのエンジンを換装することも認められていて、トヨタと日産、ホンダに加えてマツダやBMW、ボクスホール/オペルといった内外のメーカーがワークス(格の)チームを擁して参戦し、技術開発で鎬を削っていました。しかし過当な開発競争が災いし、1998年限りで終焉を迎えています。

 そんなJTCCにトヨタは、トムスやセルモなどワークス(格の)チームを介して1994年にコロナ、1995年からはコロナ・エクシヴと、前輪駆動の車両で参戦してきました。そして1997年からは『FRの可能性を探る』ことをテーマに、後輪駆動のチェイサーのJTCC仕様を開発。

 翌1998年、JTCCの最終シーズンには関谷正徳選手がドライバーチャンピオンに輝いています。ちなみに関谷選手は、JTCCの開幕シーズンである1994年シーズンにもコロナでドライバーチャンピオンを獲得。駆動方式を問わないハコ遣いであると証明したのです。

 このJTCCは当初、1999年限りでシリーズが終了する予定でした。そのために考え出された後継のシリーズがSSCC、スーパーシルエットカーチャンピオンシップでした。

シリーズが実現せず幻に終わったチェイサー・スーパーシルエット

 SSCCとはその名の通り、スーパーシルエットカーによるレース。というと80年代に世界的に盛況を見せていたグループ5、通称“シルエット・フォーミュラ”と呼ばれていた市販車ベースのレーシングカーが思い起こされます。2ドアのクーペ・ボディにエアロカウルを装着していましたが、モノコックフレームのキャビン部分はベースモデルのそれを利用していましたから、市販車“ベース”を謳うこともできました。

 これに対しSSCCのスーパーシルエットは、外観こそ市販されているツーリングカー似のシルエットを持っていますが、カウルを剥がせば400psまでチューンした3Lエンジンをパイプ製のフレームのフロントに搭載。ヒューランド製のミッションを介して後輪を駆動するというもので、中身はベースモデル(と呼んでいいかにも疑問が残りますが)とはまったく別物の、完全なレーシングカーでした。

 当初の計画ではSSCCは、1999年が最終シーズンとなるJTCCと同時開催として、台数を集めるプレシーズンと位置付けられ、2000年からの本格開催となる予定でした。しかし1999年のJTCCにはエントラントが集まらず、JTCCは1998年シーズンで終焉。SSCCは1999年からメインレースとなることが急遽決定しました。そこでJTCCをプロモートし、SSCCを企画していたTCCA(Touring Car Championship Association)では、1年繰り上げられたシリーズの立ち上げの対応を急ぎました。クルマ的にはトヨタのチェイサーを模したカウルを纏ったプロトタイプが製作され、1998年JTCC最終戦でデモランにまで漕ぎつけています。

 今回紹介するチェイサー・スーパーシルエットは、そのデモランで走った個体そのものです。東京R&Dで設計したシャーシと、ムーンクラフトで設計したカウルを含めたボディを、ファーストモールディングで組み立てたもので、エンジンはトヨタ製のハリヤー用3L V6ツインターボを使用。トムスでチューニングし、400ps以上を絞り出していました。

 急拵えで仕上げたこともあって、デモランでドライブを担当した関谷選手は、「マシンの開発はこれから」とコメントしたと伝えられていますが、その分、伸びしろ(期待値)も高かったと判断した記憶が蘇ります。しかし、残念ながら参加台数を集めることが難しかったことからレース・シリーズは開催されることなく終わり、チェイサー・スーパーシルエットも幻のクルマに終わってしまいました。

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