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最初はなんと「フェアレデー」! まもなく新型発売の「Z」の知られざるご先祖様

国内初の本格的なスポーツカーとして大きな関心を集めた

 国産のロードスターと言えば、マツダのロードスターがすぐに思い浮かびます。しかしかつて1960年代にも国産モデルを代表する2台のロードスターがありました。今回はその一方の雄、フェアレディを振り返ります。

ダットサンのロードスターには戦前からその息吹が感じられた

 来月、6月には発売が予定されている新型フェアレディZですが、その初代モデルはデビュー当時、ダットサンのブランドで登場していました。そのダットサン・ブランドでロードスターとして血統を遡っていくと、1932年に製造されたダットサン11型に辿り着きます。

 ロードスター(2座オープン)の他にもフェートン(4座オープン)、さらにセダンやクーペなど多くの車型がラインアップされていました。日産ヘリテージコレクションに収蔵されているモデルとしては1933年式12型のフェートンがあり、ロードスターとしては1935年式の14型と1936年式の15型に2座オープンのロードスターが展示されています。また戦後の1952年にはダットサン・スポーツと名付けられたロードスターが誕生しました。

 もしかしたら戦後のこのモデルもまたフェアレディの祖というべきかも知れません。しかし、フェアレディを名乗った最初のモデルは、1960年に登場したダットサン1000の後継モデルでSPL212/213の型式を与えられていました。

 ただし欧文表記ではDatsun Fairladyでしたが、何故か和文表記はダットサン・フェアレデーとされていました。ちなみに、型式名の基本はSP210ですが、これはS210型のハイパワーモデルがSP210、その輸出仕様=左ハンドル(Left-hand drive)仕様がSPL210。末尾の数字はマイナーチェンジの回数でSP212は2回のマイナーチェンジを経たVer.3というわけです。

 そのフェアレディ、いやフェアレデーは、ダットサン・セダン(110型系/120型系)がベース。そのダットサン・セダンは、ラダーフレームにリーフリジッド式の前後サスペンションを組み込むなど、シャシー自体はコンサバなものでした。

 ボディは日産のオリジナル設計で、全面的にスチールパネルをプレスして構築したもので、戦後型とは言うものの、基本的には戦前の設計だったダットサンの戦後第一世代の乗用車とは一線を画していました。

 ちなみにSP212の先代モデル、S211型は当時、新素材として注目を浴び始めていたFRP(ガラス繊維で強化されたプラスチック樹脂)で成形されたボディが架装されていました。SP212型フェアレデーに搭載されたエンジンは、初代ブルーバード(310型系)にも搭載されていた1189cc直4プッシュロッドのE型を、ツーバレルキャブでチューニングを施したもので、最高出力は48ps。4速のマニュアルトランスミッションと組み合わされ、最高速度は132km/hとされていました。

 このフェアレデーの発展モデルが1961年秋に開催された第8回東京モーターショーでお披露目されたダットサン・フェアレディ1500。当時は左ハンドルの輸出仕様が展示されていましたが、翌年秋には国内販売モデルも登場しています。

国内初の本格的スポーツカーとして登場したフェアレディ

 1961年の東京モーターショーで輸出モデルが、そして翌1962年には国内モデルも登場したダットサン・フェアレディは、そのコンセプトが大きくシフトされていました。4座オープンだったフェアレデーに対してこちらは2座オープン……当初のモデルでは運転席の後方に、横向きにマウントされた第3のシートが装着されていましたが、後に取り払われて正真正銘の2座に変更されています。

 さらにサスペンションやエンジンなども、フェアレデーに比べて大きく進化していて、国内初の本格的なスポーツカーとして大きな関心を集めることになったのです。ベースとされたのは、当時として最新のブルーバード(310型系)で、そのために型式ネームもSP310(輸出用はSPL310)とされていました。

 フレームは低床式のラダーフレームで、サスペンションはフロントにコイルで吊ったダブルウィッシュボーン式の独立懸架を採用。リヤはリーフスプリングでアクスルを吊るリジッド式となり、シャシー全体をブルーバードから転用していました。

 エンジンはブルーバードの兄貴分で、1960年に発表されたばかりのセドリック用、1.5Lの直4プッシュロッドを搭載。軽量コンパクトなボディ/シャシーに1クラス上のパワフルなエンジン、とスポーツカーの公式に則ったパッケージングでした。

 そして1965年には、エンジンが1600ccの直4プッシュロッドで最高出力90psを絞り出していたR型に載せ替えられます。このエンジン/シャシーの組み合わせは、前年の東京モーターショーに参考出品され、フェアレディ1600よりも1カ月前に登場した初代シルビアも同様でした。その型式ネーム、CSP311の頭につくCはクーペを意味していて、初代シルビアがフェアレディのクーペモデルだった両者の関係にも納得させられます。

 フェアレディが1600に移行した2年後、オープン2座の集大成となるファイナルモデル、フェアレディ2000(SR311)が登場します。セドリックなど広範なモデルに搭載されていたH20エンジンをベースに、ヘッドをプッシュロッド式OHVから、ウェッジシェイプの燃焼室を持つカウンターフロー式のSOHC式ヘッドに交換されたU20型エンジンは、最高出力145psに達していました。

 シャシーは、基本的にはフェアレディ1600と同様でしたが、パワーアップに対応した強化が施されていました。主だったところでは、太くなったトルクでアクスルが暴れるのを防ぐために、リヤのリジッドアクスルに2本のトルクロッド(トレーリングアーム)が追加されたこと。

 またフロントのみディスクブレーキという基本レイアウトは変わっていませんでしたが、ドラム式のリヤブレーキは、鋳鉄製のドラムにアルミ製のフィンを溶着させた、“アルフィン・ドラム”に進化していました。ブレーキ系も、タンデム式のマスターシリンダーを採用して2重に強化されています。

 個人的には高校生のころ、友人とふたりで“大人になったら…”という、SR311とホンダのエス8が主人公の夢物語を語り合ったことが記憶に残っています。大柄だった彼はSR311を、小柄な自分はエス8を購入し、いつかふたりで走りに行こう、と約束を交わしていたのです。

 残念ながら彼は事故で亡くなり、ふたりで走りに行く夢は叶いませんでしたが、社会人になってエス8を購入、最初に帰省したときに彼の墓参りにエスで出向き、彼が好きだったチェリーとカールを供えながら、約束を果たしたぞ、と報告したことが懐かしく思い出されます。

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