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「赤」と「陸サーファー」がスターにのし上げた! 昔の若者が大好きだった5代目ファミリアとは

時の若者文化のひとつの象徴のような存在のクルマだった

 マツダ・ファミリアというと、皆さんならどの世代を真っ先に思い浮かべるだろうか? 映画「幸せの黄色いハンカチ」で武田鉄矢と桃井かおり(後席にあの高倉 健が座っているシーンもあった)が乗る劇中車として登場した4代目(1977年)など、渋めながら知られているところか。発売直前、“X508”の開発コードと“コスモのようなフロントグリルで登場か!?”といったスクープ記事が自動車雑誌に載ったりした。

 あるいは初代(1963年)、2代目(1967年、1973年登場の3代目のプレストは2代目の拡幅版だった)あたりの日本のモータリゼーションが盛り上がりを見せ始めた時代のモデルも忘れられない……筆者などはそういう世代だが、2代目ではRE搭載のファミリア・ロータリークーペが登場した。

国産FF乗用車で月間登録台数ナンバー1をたびたび記録した5代目ファミリア

 ところで歴代ファミリアで、名実ともに存在感を示した世代というと、やはり1980年に登場した5代目(赤いファミリア)だろう。前述「幸せ……」の4代目の後を受けて登場したのがこの世代のモデルだったが、国産FF乗用車で月間登録台数ナンバー1をたびたび記録するなどし、大ヒット作となったクルマだった。

 クルマそのものは、それまでのFRからFFに切り替わった新規のフラットフォームを採用した、文字どおりの“新型”だった。とくにサスペンションは、4輪ストラット式のシンプルながらこだわった設計で、SSサスペンションと呼ばれたリヤ側にはトーアウトを打ち消す2本のリンクを配置し、走行中やコーナリング時の安定性を確保する。フロント側も10mmのネガティブキャンバーオフセットの採用で、万一のパンクやブレーキが片効きの状態に陥っても直進安定性を保つ設計。テーパーコイルスプリングの採用で荷重が少なければやわらかく、増えればしっかりとスプリングを効かせ、快適な乗り味を確保していた。

 搭載エンジンは1.5Lと1.3Lを設定。1.5Lについては当初はキャブレター(85ps/12.3kg−m)のみだったが、1983年1月のマイナーチェンジでEGI仕様(95ps/12.6kg−m)を追加設定した。さらに1983年6月になると、“総合性能を高次元でバランスさせた本格派のファッショナブルスポーツターボ”(発表当時のニュースリリースより)と銘打ったEGIターボが登場し、115ps/16.5kg−mに性能が引き上げられた。このEGIターボは等長ドライブシャフトの採用、後輪トレッドの拡大などもポイントだった。

 また前述のEGIターボ登場のタイミングで60タイヤ、ドアミラーの装着などが晴れて認可されたのも、この時期の新型車らしいトピックのひとつだ。ちなみにドアミラーは輸入車では当たり前の装備だったが、正式な認可前の国産車ユーザーにとっては羨ましい存在だった。

日本車の輸出仕様が注目された

 だが、そんな状況下でクルマ好きが目をとめたのが日本車の輸出仕様だった。ファミリアは欧州市場などでは“323”として発売されていたが、その海外仕様の純正ドアミラーが手に入れば日本仕様のファミリアもドアミラー化できる……そんなファミリア・ユーザーの願いを、当時の一部のこだわりのカーショップが叶えてくれたのだった。

 ちなみに入手可能なドアミラーにもいくつかあり、プライスはやや高めだったが右ハンドル用(UK仕様など)の純正品のほか、より手ごろなレプリカもあった。ただしレプリカは左ハンドル用で、右ハンドルに装着するためにアングル調整のスペーサーを使う方式をとっていた。いずれにしてもドアミラーは、フェンダーミラー仕様の日本車でも、装着部分の樹脂のグロメットを外せばドアミラーを取り付けるためのボルト穴3個が生きた状態で、ボルトオンで簡単に装着が可能だったという。

 それと当時はドレスアップが流行っていた時期でもあり、社外品のエアロパーツや、ファミリアに装着可能なスタイリッシュなアルミホイールなども豊富に用意されていた。またドアミラーと併せて、ファミリアの欧州仕様名だった“323”のエンブレムを装着して差別化を楽しむオーナーも多かった。

陸(おか)サーファーも5代目ファミリアを表わす代名詞だった

 “陸(おか)サーファー”という言葉も、赤いファミリアとともに5代目ファミリアを表わす代名詞だった。サーフボードをルーフにボルトオンしているの? などと言われ、都心や、やや郊外の大学へ通うオーナーがファッションのひとつとしてそういうスタイルでキメたファミリアに乗っている……そんな事例が多かったからだ。

 ついでにトレイ状になったインパネの助手席側にパームツリーのミニチュアが飾ってあったり、リヤウインドウにレインボーやボートハウス(東京・青山学院大学の西門前にあったトレーナーで有名な店)のステッカーが貼ってあったり。

 ドライブミュージックはクリストファー・クロスやドゥービー・ブラザーズやホール&オーツetc.。お茶やディナーは、当時あった葉山のデニーズ……。1980年台初頭の甘々なムードのなかで、物知り顔でいうなら当時の若者文化のひとつの象徴のような存在のクルマだった。

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