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マツダ787Bの4ローターの快音にファン大絶賛! トヨタトムス85Cがクラス優勝を遂げる【2022ルマンクラシック】

今も絶大な人気を誇る787B

ヒーローが集う欧州最大級の夏祭「ルマンクラシック」

 ルマンクラシック(LMC)は、ルマン24時間レースを主催するACOとクラシックカーレース主催組織であるペーター・アウトが、2002年に開始したクラシックカーレースである。

 特徴としては、第1回ルマン24時間レースが開催された1923年以降1980年までの同レース出場車に資格が与えられるもので、年代別に6つの出走区分に分けられ、ルマン24時間が開催されるサルトサーキットにて、それぞれ土曜日の午後4時以降24時間の間に3回のレース枠を全力で走って順位を競うのが基本だ。

 美しく価値も高いビンテージカーを眺め、優雅なパレードランを見て楽しむクラシックカーイベントではなく、ガチでレースするのが特徴。しかも、ホームストレートのコンクリートウォールに沿って斜めに停車しているレースカーに向かって、コースの反対側からドライバーが走って乗り込み、エンジンを始動する伝統的なルマン式スタートでコンペティションが始められるのである。

ルマンを戦った680台の歴代マシンが集結

 6つの枠を見ると、グリッド1(プラトー1)には、ベントレー3L、アルファ ロメオ8C、ブガッテイT57など初期のルマンで活躍した1920年代・30年代の名車が集っている。グリッド2は、第2次大戦の影響で1940年から49年まで24時間レースが開催されなかったため、1950年代のマシンで構成。同時代を席巻したジャガーCタイプ/Dタイプに加え、オースチン・ヒーレー100、モーガン・プラス4やアストンマーティンDB2/3などの英国車が多い。

 グリッド3は、1960年代前半に旋風を巻き起こしたフェラーリ250が主役であり、一方ロータスやMG、TVRといった英国のライトウェイトスポーツも多数エントリーしている。グリッド4は、1960年代後半のクルマたちの枠であり、フォードGT40やシェルビー・コブラなどのアメリカンモンスターが一気に増える。

 1970年代前半が中心のグリッド5は、ローラやシェブロンなどのスポーツカーが登場。ポルシェ917やフェラーリ365GTBもこの時代のマシンだ。グリッド6には、グループ5スポーツカー全盛の1970年代後半のため、ポルシェ935やフェラーリ512、BMW M1などが現れる。

 これらのヒストリックカーだけでざっと450台がエントリーリストに名を連ねているが、このほか、サポートイベントとして設定されているクラシックジャガー(50台)、ポルシェクラシック(70台)、1993年以降2010年までのルマン出場車によるルマン耐久レジェンド65台に加え、グループCレーシングが45台。なんと合計680台もの「ルマンカー」がレースする。これは、まさに華麗なる異常事態だ。

 このほか、ブガッティサーキットのトラックとインフィールドまでを埋め尽くして展示参加しているクラブカーが850台以上となっている。さらに、キッズによる「リトルビッグマン」(ミニカー)レース100台、ビンテージモーターサイクルのオークションも行われる。英国のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピードや、アメリカのモータースポーツ・リユニオン(ラグナセカ)も多数の貴重なレジェンドカーが走っていたが、このLMCレースに参加するのは、正真正銘のルマンカーに限られており、「正統感」は半端ない。

姿を現した名車に他車のメカニックも羨望の眼差しを向ける

 さて、この特別なイベントに現れたわれらがマツダ787Bとトヨタトムス85Cの話に戻ろう。南仏サンブックにあるモデルカーブランドSPARKのプライベートサーキットでテスト走行を済ませた2台は、6月29日夕方にサルトサーキットのグループCパドックに到着した。

 2台積みトレーラーのリヤゲートが開くと、そばにいた他のグループCカーの担当メカニックたちがスマホを片手に集まってくる。1991年ルマンウィナーである787B、近年5連覇しているトヨタハイブリッドルマンカーの元祖とも言えるトムス85Cは、彼らにとってもヒーローカーなのだろう。

 翌30日にはエアツールのセットなど、ピットの設営を行い、7月1日の第1回目走行に備えた。広島から派遣されたマツダ787Bのエンジニアのふたりは、南仏から行動をともにしているトムス85Cのメカニックたちとすでに意気投合。何かあればお互いに助け合おうと話していた。この日までは空は雲に覆われ肌寒かったが、翌日7月1日には青空となり、気温もこの時期に相応しい暖かさを取り戻すことになった。

主催者の計らいで787Bが1周のフリー走行へ

 当初、マツダ787BはグループCレースの先導車として、フォーメーションラップの先頭を走る予定であった。だが、それではマツダ787Bのグッドサウンドを観衆に聞かせることができないため、主催者と調整し、同レースのフォーメーションラップの直前に1周だけフリー走行ができるようになった。

 走行前の暖機を始めると、次々に観客が集まりだし、787Bの周りを埋め尽くすことに。英国からやってきたマツダファン、ベルギーから787Bの細部を見るために自走してきた青年、ポーランドから来たという熱心なファンも暖機運転に釘付けだ。

 1991年の総合優勝以来のファンだというフランス人は、地元のマツダ愛好家10数名を引き連れて来たという。787Bは、グループCパドックから押されてメゾンブランシュの内側に新設されたピットに移動。それに連なってファンの大群も一緒に移動していく。瞬く間に新設ピットビルの屋上は、マツダ787Bの走行を楽しみにしていた人々でいっぱいになった。

 時間となり、寺田陽次郎がスターターに手を伸ばすと、4ローターサウンドが響き渡る。オフィシャルの合図によって、クラッチミートした寺田はフォードシケインを抜け、暴れるコールドタイヤを押さえつけた。そして、左右にマンモススタンドが見下ろすホームストレッチまでには5速全開まで加速していった。

 ダンロップブリッジ、S字コーナー、テルトルルージュ、ふたつのシケインを含むユノディエールストレート、ミュルサンヌ、インディアナポリス、アルナージュからポルシェカーブを過ぎると、パーマネントサーキットに戻ってくる。コースレイアウトは31年前とほとんど変わっていない。たった1周ではあったが、余韻を残して4ローターサウンドはサルトの森に轟いた。

 寺田は、「クルマもタイヤも冷えたままでしたが、なんとかグランドスタンド前では787Bの快音を聞けたのではないかと思います。いたる所で、ファンのみなさんやコースマーシャルの方々が手を振ってくれているのが見え、マツダ787Bがまだまだ愛され続けているのだな、と実感しました」と語っていた。

 同様に7月2日には2回のデモンストレーション走行があり、それが終了するとLMCイベントの最中ではあったがマツダ787Bのピットエリアでは撤収作業に入った。すると、せめてエンジン始動をもう一度やってくれ、遠方から来たんだからエンジン音を聞かせてほしいというファンが次から次へと現れる。丁寧に事情を説明し、納得してもらったが、要望に応えてあげたかったな、と思った。

トムス85Cはクラストップチェッカー

 一方、グループCレースに参加したトムス85Cの関谷正徳と中嶋一貴も、大活躍であった。3回ある走行の最終セッションはまさに決勝レースであり、ポルシェ956/962C、ジャガーXJR9/12、プジョー905やフロムエーニッサン90CK、アストンマーティンなどとともに走った同車は、C1bクラスでトップチェッカーを受け、関谷・中嶋は館 信秀監督、オーナーの國江仙洞氏とともにポディウムに上がっている。

 予選終了時に関谷が、「速くて目が追いつかないよ、怖いねぇ」と呟いていたが、それでもしっかりと速いラップタイムを記録していたのは流石だった。

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 私たちは、観客19万5000名を集めたフレンチクラシックレース「ルマンクラシック2022」の会場を後にした。世界的な感染症パンデミックが発生する前の2018年以来、4年ぶりにこの地に立ったが、この大観衆の熱気、古き良きものを大事にする底深いカルチャーに接し、改めて自動車レース発祥の地フランスは、偉大だと感じた。同時に、今回のイベントに立ち会えたことを心から誇りに思う。

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