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鈴鹿60周年を記念して「グループCカー」6台が激走! もっとも快音を響かせたのは日産「NP35」だった

1992年式日産NP35

往年のグループCマシンに来場者も関係者も興奮

 F1の日本グランプリや、“8耐”の愛称で知られるバイクの世界耐久選手権・鈴鹿8時間耐久ロードレースの舞台として世界的にも知られている鈴鹿サーキットは、2022年で開業から60周年を迎えました。それを記念して、今シーズンのビッグイベントでは周年記念イベントが開催されています。

 夏休み最後の週末に行われたSUPER GT第5戦では、この時期に開催されてきた真夏の耐久レース、鈴鹿1000kmなどで活躍したグループCカーなど、6台のスポーツプロトタイプカーが集合。デモランでは当時のバトルを彷彿させていました。

レーシングスポーツは、国内モータースポーツの一方の雄

 わが国の近代モータースポーツの幕開けとされているのは1963年に鈴鹿サーキットで開催された第1回日本グランプリとされています。このときはスポーツカーレースがメインイベントで、ツーリングカーやGTカーなどのロードカーをチューニングしたクラスがサポートレースとなっていました。

 翌1964年に行われた第2回日本グランプリではJAFトロフィーとして、国内で初となるフォーミュラカーのレースが行われています。

 それ以来、フォーミュラとレーシングスポーツカー、それぞれの最上級カテゴリーが国内モータースポーツを代表するトップカテゴリーとなり、両方のトップカテゴリーで活躍するドライバーこそが国内トップドライバーと認められるようになっていきました。フォーミュラに関してはF2000からF2、F3000、フォーミュラ・ニッポン(FN)、そして現行のスーパーフォーミュラ(SF)とレギュレーションの変更によってシリーズ名も変わってきましたが、いずれも全日本選手権のタイトルがかけられてきました。

 一方のレーシングスポーツですが、こちらはちょっと複雑で、例えば1970年代には富士スピードウェイが主催していた富士グラン・チャンピオン(GC)レースがトップカテゴリーとなっていました。しかし1980年代に入り1983年からは全日本耐久選手権、1985年からは全日本ツーリングカー選手権が始まると、富士GCは観客動員に陰りがみられるようになり、1989年を限りにシリーズ終了。

 代わってレーシングスポーツのトップカテゴリーとなったのが、全日本耐久選手権の主役となったグループC=スポーツプロトタイプカーでした。今回はこの、グループC時代のレーシングスポーツが6台走行。内訳はグループCが1985年のポルシェ962Cと1986年の日産R86V、1992年の日産NP35。グループC2が1987年のアルゴJM19Cと1991年のスパイスSE91C、そして1989年のマツダ767BはIMSA-GTPクラスの車両でした。

 6台と台数的には少し寂しい感じもするのですが、その内容としてはグループC時代を俯瞰するのに十分なモデルが集合していました。現在ではマイナー/ミドルフォーミュラでも一般的となっているカーボンファイバー(CFRP)製のモノコックですが、F1GPでは1981年にマクラーレンが初採用し、グループCでは1985年のジャガーが初採用しています。今回登場したモデルでは1989年の767Bと1992年のRN35の2台がカーボンモノコックで、ほかの4台はアルミパネルをプレスして製作したツインチューブ・モノコックを採用していました。

 グループCは搭載するエンジンの排気量や気筒数が自由なだけでなく、ターボの有無も問わず、ディーゼル・エンジンやロータリー・エンジン(RE)の搭載も自由で、規定されているのは燃料の総使用量だけ。

 今回の6台も962はフラット6のターボ、R86VはV6ターボ、767Bは4ローターのRE。C2のJM19 CとSE91Cは、2台ともにコスワースDF系の自然吸気V8で、RN35は自然吸気のV12、とバラエティに富んでいます。グループC2は当初、グループCジュニアと呼ばれていましたが1984年にはグループC2となり、それに合わせてそれまでのグループCはグループC1と呼ばれるようになりました。

 Cジュニア/C2はC1の下位カテゴリーですが、C1と同様にエンジンの排気量などは自由で、C1よりも厳しくなった燃費が規定されていたほかは、比較的自由な車両規則となっていました。C(1)/C2はFIAによるスポーツカーの世界選手権(1981年~85年は世界耐久選手権=WEC、1986年~1990年は世界スポーツプロトタイプカー選手権=WSPC、1991年~1992年はスポーツカー世界選手権=SWC)を戦うカテゴリーでしたが、北米を舞台に転戦していたIMSA-GT選手権のなかで、ほぼ同時期にほぼ似たような車両規則で戦われていたのがIMSA-GTPとIMSA-GTPライトです。

 車両規則として前者はグループCとほぼ共通していて、“キャメルライト”の愛称で知られる後者はグループC2とほぼ共通していたため、グループC(1)とIMSA-GTP、グループC2と“キャメルライト”には同じマシンで参戦することも可能でした。767BはIMSA-GTP車両としてWSPC戦のル・マン24時間に参戦していましたし、アルゴやスパイスの市販シャシーの多くはC2としてWSPC戦に、“キャメルライト”としてIMSA-GTレースに参戦していました。

さまざまなエキゾーストサウンドが鈴鹿にこだました

 鈴鹿サーキットでは2015年にヒストリック・レーシングカーなどを集めたイベント、SUZUKA Sound of ENGINEを初開催。毎年のようにテーマを決めて開催を続けてきました。残念ながら新型コロナの感染拡大により、2020年からは3年連続して開催が中止されています。そのイベント名に表されているように、エキゾーストサウンドはレーシングカーの大きな魅力のひとつです。

 今回のデモランでも6台のレーシングスポーツが、それぞれ個性的なエキゾーストサウンドを響かせながら周回し、サーキットに詰めかけたファンを魅了していました。ポルシェ962Cと日産R86Vは同じ6気筒ターボですが、方やツインカム(4カム)のフラット6、もう一方はシングルカムのV6と気筒レイアウトが異なっていることから、エキゾーストサウンドも若干異なっているのが印象的です。

 その一方で、とても特徴的だった1台が4ローターREを搭載したマツダ767Bでした。デモランということでレースの実戦時ほどではありませんでしたが、甲高さでは間違いなく、天下一品でした。そしてアルゴJM19CとスパイスSE91Cは、かつてはスタンダードエンジンとしてF1GPを支えてきたフォード・コスワースDFVに端を発するDFLなど自然吸気のV8ツインカム(4カム)で、ターボとは一線を画したサウンドをまき散らしていました。

 そんななかで、もっとも印象に残ったのは日産NP35のV12サウンドでした。NP35は1993年のSWC/JSPCに向けて開発された車両でしたが、そもそも1989年のSWCではFIAが、それまでのグループCカテゴリーから車両規則を改定。エンジンを自然吸気の3.5Lとしたカテゴリー1を創設し、従来のグループCはカテゴリー2となり、最終的に1992年にはカテゴリー1に一本化したことで大きな混乱が生じることになりました。

 FIAとしては当時のF1GPと共通のエンジンとすることでF1GPに参入するメーカーの掘り起こしを考えたようですが、結果的には新たに名乗りを上げたメーカーはプジョー以外になく、1992年限りでシリーズも消滅してしまいました。

 ちなみに、FIAT系のアルファ ロメオがアバルト製3.5L V10エンジンを搭載したマシンを試作しましたが、これも実戦参加は叶いませんでした。日産NP35も1992年のJSPC最終戦にテスト参戦したのみで、1993年は目標としていたSWCやJSPCが開催されないこととなり、レース出場を諦めていたのです。

 そんな悲運のレーシングマシンとなったNP35ですが、1台のみが製作されて車両自体は座間市にある日産ヘリテージコレクションに収蔵されており、こうしたイベントの際にはニスモのスタッフがメンテナンスを行い、プロドライバーがドライブすることになっています。

 今回は昨年限りでSUPER GTでの活動を終了した星野一樹さん(現在もスーパー耐久などでは現役のドライバーとして活躍中ですが、あえて選手とは呼ばず、さん付けで話を続けさせてもらいます)がドライブしていました。星野一樹さんがドライブするRN35は、他の6台とは明らかに周波数帯が異なるサウンドをまき散らしながら、鈴鹿のコースを駆けまわっていました。

 久々のレーシングカードライブを楽しんだ星野一樹さんは、デモランを終えてピットに戻り、クルマから降り立った開口一番に「いやぁ、楽しかった」と嬉しそうにコメントしていました。その後IMPULのピットに戻りチーム監督(代行)の顔に戻った星野一樹さんに、改めてドライビングの感想を尋ねたところ「昔だったらパワーがあって、運転していて楽しかった。それだけの感想になったでしょうが、自分も歳とったのかな、そのクルマが開発された当時のことに思いを馳せることができるようになりましたね」と苦笑交じりに話し始めました。

 そして「あのころ、日産でどのような設計開発が行われていたとか、NISMOではどのような状況でテストが続けられていたとか、いろいろなことが頭のなかをよぎりましたね」と興味深いコメントを返してくれました。さらに「土曜日の走行のあとで、とても楽しかったとSNSにアップしたら(車両開発担当だった)水野和敏さんから『自分が作ったクルマを親子2代でドライブしてもらい、ありがとうございます』とコメントを返してもらいました」とエピソードを披露してくれました。

 実際、コースサイドで撮影していても、それが聞こえてくるとひと際わくわくさせられたV12のエキゾーストサウンドに関しては「ドライブしていてもV12の甲高いサウンドが気持ちよかったですね。やはりレースにサウンドは絶対に必要だと思います。レースは目でバトルしているのを見て、鼻でオイルの匂いをかいで、そして耳で甲高いサウンドを聞いて……。もう五感すべてで感じるからこそ面白さが実感できるのだと痛感しました。別にフォーミュラEを否定するわけではないですが、やはりエキゾーストサウンドは必要だと感じましたね」と星野一樹さんは熱く語ってくれました。

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