戦時下でも品質のよい部品は国境を超えて採用
レーシングドライバーであり自動車評論家でもある木下隆之氏が、いま気になる「key word」から徒然なるままに語る「Key’s note」。今回のキーワードは「タイヤの歴史」です。ドイツにある兵器博物館を訪問しました。
ドイツの兵器博物館でタイヤの歴史を学ぶ
先日のことですが、ドイツ最古の街とも称されるコブレンツを訪ねました。ローレライの伝説に触れるでもなく、モーゼル川とライン川の合流地点に感動するでもなく。私が目指したのは兵器博物館——正確には「ヴェールテクニッシェ・シュトゥディエンサムルング(Wehrtechnische Studiensammlung)」、略してWTSでございます。観光としてはちょっと変わった選択かもしれませんが、これがなかなか、得るものが多かったのです。
というのも、いま私はニュルブルクリンクでのレース活動のため、ドイツに長逗留しておりまして。あるとき、ある人がこう言ったのです。
「あそこには古い兵器だけでなく、タイヤの歴史も詰まってますよ」
なるほど、それなら行かぬ手はない。トーヨータイヤに移籍してレースを戦う身としては、タイヤのルーツと向き合うのも礼儀というものです。WTSは、ドイツ連邦軍の装備・情報技術・運用支援庁、略してBAAINBwが運営する、いわば国防技術の博物館です。
旧ラングマルク兵舎に広がる約7200平方メートルのスペースに、じつに2500点以上の展示物がひしめいております。戦車、戦闘機、潜水艦、携行火器、軍服、通信機器、果てはサバイバルキットまで、ドイツの「戦いの技術史」が濃密に詰め込まれているのです。
「クルマのグローバル化」は戦火をもくぐり抜ける
しかし、私が足を止めたのは、やはり足まわりの話でした。展示の中心は、第一次大戦から第二次大戦にかけての兵器。つまり、ドイツ軍が猛威をふるっていた時代です。そんななか、ある軍用車両のタイヤを見て、私は「おや?」と目をこすりました。
なんと、装着されているのはミシュラン。フランスのタイヤメーカーですね。しかもこの車両、あのシュビムワーゲン。小学生のころプラモデルで何度も作った記憶のある、水陸両用の車両です。ドイツとフランスは当時、敵国同士。なのに、敵国のタイヤを採用するとは……。戦は道具選ばぬというわけですね。
それだけではありません。別の展示車両では、クーパーというアメリカ製のタイヤを履いたモデルが展示されていました。アメリカもまた、当時の敵国。けれど、採用されている。もちろん、ドイツ国内のコンチネンタルを使った車両もありましたが、その数は意外と少なかったのです。
つまり、戦時下にあってさえ、品質のよい部品は国境を超えて採用されていた。敵味方も、工業製品の前ではどこか薄らぐのでしょう。ここに「クルマのグローバル化」は、戦火をもくぐり抜けてきたのだという実感があります。
タイヤは生死を分ける重要部品
ウクライナ侵略のロシア軍兵器にはウクライナ製のパーツが採用されていると聞きますし、いがみ合うアメリカと中国ですが、お互いの国が開発した技術を流用しあっているとのことですね。
WTSの展示は、いわゆる一般向け博物館のような解説パネルはあまりなく、どちらかというと「技術者のための倉庫」といった雰囲気が漂っています。あくまで、研究、保存、教育のための施設。入館に際してはパスポートとの引き換えに3€が必要になります。たんなる博物館ではなく、名前が表すように研究機関なのです。
それゆえに華やかさはなく冷たい感じがするのですが、これが妙に心地よいのです。無駄な演出はなく、純粋にモノと対話できる時間。まるで、レース前夜のガレージのようでした。
博物館の奥には、図書館のような一角もありました。棚には整然と並ぶ技術書。武器だけでなく、運搬手段である車両やタイヤに関する資料もあって、見れば見るほど、「タイヤは兵器である」という感覚になってきます。たかが黒い輪っか、されど生死を分ける重要部品。その価値を、ここで再確認できたのです。
展示を終えて外に出たとき、コブレンツの街並みは相変わらず穏やかで、ライン川の流れも静かでした。でも私の中には、戦火をくぐったゴムの匂いと、鋼鉄の手触りがしっかりと残っておりました。モータースポーツとは、平和の時代における「闘い」です。そしてその闘いの足元を支えるタイヤとは、いつの時代も、ただの消耗品ではないのだと。
そんなことを考えながら、再びニュルブルクリンクのガレージへ戻りました。レースは続きます。過去の記憶も、未来の速度も、ぜんぶタイヤに刻まれていく——そんな気がしています。
